ばらいろのウェブログ(その3)

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2018年 吉田寮 春季入寮募集宣言 Manifesto of Yoshida dormitory's recruits 2018 spr. 2018年 吉田寮 春季入住者招募宣言


京都大学自治寮である吉田寮が、今春も新規入寮者を募集しています。
なぜわざわざこんなことを書くかというと、京都大学当局から現寮生が退寮を要求され、加えて大々的に「吉田寮には入寮できない」とアナウンスされている中での、吉田寮自治会による入寮募集だからです。


2018年 吉田寮 春季入寮募集宣言
Manifesto of Yoshida dormitory's recruits 2018 spr.
2018年 吉田寮 春季入住者招募宣言
2018年2月22日
吉田寮自治会


また、吉田寮自治会が発行している入寮募集パンフレットに、以下の短文を寄稿しました。
今年は、沢山の寄稿があり、過去最大のページ数に及んでいます。
パンフレット全体はここでダウンロードできます(153MB)。

「(第1次) 在寮期限」の後のわたしの経験

 私が吉田寮に入ったのは1987年4月。つまり「(第1次) 在寮期限」の時です。その当時も大学は公式に「入寮募集停止」を決めていて、「吉田寮には住めません」との趣旨の掲示も出ていたような記憶もあります。でも、寮自治会が開催する入寮説明会に取りあえず行ってみたらたくさんの寮生が住んでいたし、大学の方針に抵抗しながら住むのも又なんか楽しそうだったので入寮しました。その後、河合隼雄学生部長との団交などを経て、1989年に吉田寮の存続を正式に勝ち取るのですが、ここでは、その後の話を少し書こうと思います。
 いま吉田寮に住んでいる人や、いまから吉田寮に入ろうと思う人にとって、吉田寮が、日本人や在日朝鮮人などの永住外国人だけが住む寮ではなく、留学生も住む寮であることは、当たり前のことになっています。しかし私が入寮した当時は、吉田寮自治会は留学生の入寮を認めていませんでした。
 実は、河合学生部長との団交の過程で、新寮を建てるとしたら混住寮にしよう、と学生部長の側から提案がありました。当時のわたし自身も、そして寮自治会としても、それまで留学生との混住寮については考えたことがなかったので、寝耳に水でした。その時は「建物を建てるときの学生一人あたりの基準面積が混住寮にすれば広くなる」などの理由が言われていました。しかしよく考えてみれば、特に私費留学生が経済的に特に厳しい状況にあるということは、すぐ気がつくことでした。いまから思い直してみると、当時の私たち吉田寮自治会は「経済的に厳しい人たちの学ぶ権利を保証するための厚生施設」という位置づけを掲げていながら、京大でおそらく最も経済的に厳しい状況に置かれうる層の人たちの入寮を認めていなかったのです。とても恥ずかしいことだったと思います。
 そういったやり取りも含む団交を経て、吉田寮の存続が公式に決まった1989年以降、わたしは、当然のことながら、吉田寮の入寮資格が留学生にもすぐに開かれるものだと思っていました。
 しかし、これが思いのほか、簡単ではなかったのです。
 とにかく、いろんな理屈をつけて、寮生大会で通らなかった。そもそも学生部が混住寮と言い出しているので、大学当局との関係から問題になる点はありません。詳しくは紙面の都合でここでは触れませんが、要するに、留学生を入れたくない、という人が実際に一定数いたのだとわたしは考えています。最終的には1990年7月から留学生の受け入れを開始したのですが、それは、団交の場で混住寮の話を初めて聞いてから、既に1年以上もたっていました。
 「自治」というのは、このような危うさもあるんだ、ということを、わたしは学びました。現に吉田寮に住んでいるという既得権を持っている人たちが「自分たちの生活」のことだけを考えていると、そこには「留学生との混住寮」という発想はなかなか出てきません。自治は、特権を持った人たちの既得権防衛として使われる/機能することもあるのです。その当時の吉田寮自治会は、いわゆる「正社員組合」だったのです。


 留学生の入寮募集を開始するにあたって、実はもう一つ、新たなテーマがありました。当時の留学生用の宿舎である国際交流会館(修学院)に行って事情を聞いてみると、配偶者や子どもなど家族と共に来日を希望する人のための家族部屋が国際交流会館には設備としてあり、実際に家族で入居して生活している人も居るということを知ったのです。もちろんその家族には、京大の学籍などはありません。これについては、留学生の入寮募集を開始した後も寮内で話し合いを続け、1994年度から「京都大学学生との同居の切実な必要性」が認められる者も入寮募集の対象にする事になりました。特定のイデオロギーに基づく「家族」という言葉を使わず、法的な婚姻などを要件とせず、吉田寮自治の立場からこれを言い換えて位置づけ直しているのが、素晴らしいと思います。いま各地で「LGBT」に配慮してどうこうするというのが流行ですが、そんなのが流行るずっと前から性別要件を問わない形での取り組みを吉田寮自治会はしていたことになります。


 留学生の入寮を認めるまでにも、時間がかかりました。同居を必要とする人の入居には、更に時間もかかりました。その意味で、確かに、自治のあり方は決して完全ではありませんでした。でも、時間をかけながら、確実により良い方向に、吉田寮を作っていくことができたこともまた、事実です。「(第1次) 在寮期限」のあとの、そういった取り組みに関われたことは、わたし自身にとっての大きな誇りです。


 新しく吉田寮に入寮される皆さん。そんな、いろんな経験を吉田寮で紡いでいってください。


ひびの まこと
hip@barairo.net
http://barairo.net/


PDF版ひびの まこと2.pdf 直

資料のリンク

吉田寮自治会の公式ウェブサイト
https://sites.google.com/site/yoshidadormitory/

吉田寮自治会による特設サイト「吉田寮を守りたい」
https://yoshidaryozaiki.wixsite.com/yoshidaryozaiki2017

▶緊急特集:吉田寮退去の「基本方針」を検証する(京都大学新聞)
http://www.kyoto-up.org/archives/2675

明日10/8(土)のレインボーフェスタ!で日本軍「慰安婦」問題の展示

 無理矢理に体を押さえつける場合だけがレイプなのではない。「強制連行がなかった」と主張することで日本軍「慰安婦」制度を免罪できると考える人達は、なにが性的な暴力であるのかを理解していない。
 性行為を拒否する自由がなかった「慰安婦」制度は、労働ではなく性奴隷制というべきものだ。にもかかわらず「慰安婦は売春婦だ」と主張する行為には、「売春婦は自由が制限されてもやむを得ない」という、セックスワーク性労働者に対する典型的な差別意識がある。
 仮に「男の性欲は抑えられない」のであれば、男が去勢手術をすればいい。女性を搾取対象として必要とする欲望は尊重される必要がない。という認識が社会的に共有されていないから、「兵士の性欲は抑えられない」と言うことで「慰安婦」制度を正当化できると思い込むことが可能になる。
 実際に日本軍「慰安所」で被害を受けた当事者が日本政府に謝罪を求めると「反日だ」とラベルを貼り、発言に耳を傾けない態度。そこには、今でも朝鮮への差別や植民地主義があるのではないか。
 もし本当に日本政府や日本社会が日本軍「慰安婦」制度の過ちを認めて反省するのなら、日本政府こそが自ら「平和の碑 (少女像)」を建立すべきではないのか。碑の撤去を求めるのは、自身の過ちを隠蔽するために他ならない。
 日本軍「慰安婦」のことは今では教科書からも削除され、昨年と一昨年に元慰安婦らが日本政府に提言を出した事実や、日韓政府間合意に反対する元慰安婦の声も、今は詳しく報道もされない。逆に、日本軍「慰安婦」問題そのものを「なかったこと」にしたい人達の流す情報が溢れてしまっている現在、メディアからもネットからも、必要な情報を自動的に受け取ることは困難だ。
 性的少数派が社会的に声をあげ始めた1990年代。その同時代に社会問題化した日本軍「慰安婦」問題も、性に関わる大きな不正義であり、私たち自身の課題として私たちの目の前に存在する。



 明日10/8(土)に、大阪の扇町公園で開催されるレインボーフェスタ!でブース出展し、日本軍「慰安婦」問題のパネル展示をします。ぜひ、見に来てください。
 準備や片付け、そして店番なども含め、当日のお手伝いも歓迎です。
(今年は車で会場に向かうので、京都からの同乗も可能ですよ!)

日本軍「慰安婦」問題についてのパネル展示(10/8・レインボーフェスタ)

 10月8日(土)に、大阪の扇町公園で「レインボーフェスタ!」が開催されます。
 近年は私は、「天皇制社会日本に抵抗するクィア有志」「多数派による場の私物化を許さないクィア有志」などの団体名でブースを出してきました。今年は、日本軍「慰安婦」問題についてのパネル展示を行います。

お詫びもしてお金も渡したのに、どうしていつまでも解決しないの?と思うあなたにも知って欲しい。日本軍が実際には何をしたのかを。

 最近感じるのは、一緒にセクマイ界隈で活動する人達でさえ、日本軍「慰安婦」問題については「よく知らない」という人が多いこと。教科書からも記述が削除されてしまい、ネットでは「慰安婦は売春婦だった」というデマが溢れ、検索しても虚偽の情報が目立ってしまう状態。大手メディアも問題を掘り下げて報道しなくなってしまっていて、ギャップを感じることが何度もありました。


 1990年代、性的マイノリティーの社会運動が大きくなっていった時期ですが、日本軍「慰安婦」問題も、1991年の金学順さんの名乗りでで、大きく社会問題化しました。これを受けて当時は大手メディアでも元慰安婦被害者の証言をはじめ、日本軍「慰安婦」問題についての情報が報道されていました。そして1993年、日本政府も公式に日本軍の関与と強制性を認めて「お詫びと反省」を表明しました。2000年には「日本軍性奴隷制を裁く2000年女性国際戦犯法廷」も開催され、「天皇裕仁は有罪」との判決も出されています。
 ですので、日本軍「慰安婦」問題についての運動を直接担ってきたわけではない私でも、最低限必要な情報には触れながら育って来れました。性をテーマにした当時参加していたグループでも日本軍「慰安婦」問題を取り上げたこともあるくらい、いろんな場所で関心も持たれていました。


 しかしいま、特に若い人達は、日本軍「慰安婦」問題について十分に知らされてきませんでした。「歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意(河野談話)」は、実際には実践されてこなかったのです。
 でもそれは逆に、ちゃんと事実関係を知ってもらったら、若い人達にも分かってもらえる(可能性がある)ということ。そう思って、このパネル展を、レインボーフェスタで開催しようと思います。

日本軍『慰安婦』問題の展示について

 「セクシュアリティの多様性」を実現しようとする時、それは二つの方向性から考えられます。一つは、個人が望むことができること。もう一つは、個人が望まないことを強いられないこと。性的な暴力や強かんそして日本軍『慰安婦』制度を取り上げることは、その後者の立場から「セクシュアリティの多様性」を扱うことになります。言うまでもないことですが「意に反する性行為を強いられないこと」は、「セクシュアリティの多様性」を実現するためには必要不可欠です。
 またしばしば誤解されていますが、日本軍『慰安婦』制度が存在したことや、日本軍『慰安婦』制度が「当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題」であり日本政府に責任があることは、「一部の野党の主張」とか「極端な人の偏った主張」などではなく、現在の安倍政権を含む自民党政権でも何度も公式に確認されてきた「社会的合意」です。
 ところが、一部勢力が「慰安婦」問題自体を「なかったこと」にしようと尽力し、報道も減り、今では教科書からも記述が削除されてしまい、基本的な事実関係さえ知らない若い人も増えています。
 今回のパネル展示は、「お詫びもしてお金も渡したのに、どうしていつまでも解決しないの?」と思ってしまう人にも、まず日本軍が実際には何をしたのかを知って欲しい、との思いから開催します。「慰安所は、誰が、どのような目的で作ったのですか?」「『慰安婦』は、誰が、どのようにして集めたのですか?」「誰が、どのように管理・運営したのですか?」などの疑問に分かりやすく答えるパネルです。
 日本軍「慰安婦」問題は、男性中心社会で女性が受ける性暴力の問題であるだけではなく、朝鮮人差別や植民地主義など様々な問題が重層的に重なった課題です。私はこの問題を、加えて、セックスワーク嫌悪や異性愛主義・モノガミー主義にも加担しない形で考えることが大切だと思っています。
 意に反して性行為を強いられることのない社会を創り、セクシュアリティーの多様性を実現するためにも不可欠な取り組みに、ぜひご期待ください。
(フェスタ実行委員会に提出した企画書から引用)

参考資料:日本政府の公式見解

日韓両外相共同記者発表(平成27年12月28日)抜粋
(1)慰安婦問題は,当時の軍の関与の下に,多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,かかる観点から,日本政府は責任を痛感している。


元慰安婦の方々に対する小泉内閣総理大臣の手紙(平成13(2001)年)抜粋
いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題…私は、日本国の内閣総理大臣として…心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。…わが国としては…過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えております。


河野内閣官房長官談話(平成5年8月4日)抜粋
今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。
 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。…
…われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

お願い

レインボーフェスタ!の当日、パネルの設営から店番、撤去まで、人手が必要です。また、ブース代+パネル代+送料などで5〜6万円程度かかる見込みです。 当日のお手伝いや、ブース出展へのカンパという形で、ブース出展を応援して下さい!ぜひあなたの力を貸して下さい。


●お手伝い頂ける方は hip【アットマーク】barairo.net までメールか、090-1156-3039に電話(番号通知で)をお願いします。
●カンパ頂ける方は以下まで送金下さい。
  銀行名 ゆうちょ銀行
  店 名 四四八(ヨンヨンハチ)
  店 番 448
  種 目 普通預金
  口 座 2392398
  名 義 ヒビノ マコト


 

「沖縄差別を解消するために 沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動」が集会を開催(7/12・大阪)


【紹介・7/12(日)大阪市大正区】「辺野古で良いのか?〜もう一つの解決策〜」
「沖縄差別を解消するために 沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動」が主催。意見を異にするところもありますが、参加しようと思います。誰か一緒に行きませんか?
http://okinawabunko.com/information/718.htm

私は、京丹後の米軍基地にも反対です。米国領事が来賓挨拶に来た関西レインボーパレードでは「沖縄にも、京丹後にも、どこにも、米軍基地いらない」と描いた幟を揚げました。つまり、私自身が「京都に米軍基地を引き取ろう」と呼びかけることはありません。
http://d.hatena.ne.jp/hippie/20141014/p1


私にとって「沖縄の米軍基地を大阪に引き取ろう」を聞いた時の、非常に落ち着かない感覚。これが大事と思います。「すべての基地をなくす」考えを「正しさの暴力」だと表現するのは間違いだと思うし、私自身はそういう主張はしません。でも「引き取ろう」と主張したい人がいるのは理解できます。


辺野古がダメならどこに移設するんだ、移設先がないなら基地は固定化だ、みたいな日本政府の方針それ自体を、少なくとも短期的スパンでは変えることができないーもし仮にその条件下で「ではどうするのか」を考えるのなら、「大阪への移設」ー出てきてもおかしくない選択肢。


そして。沖縄に基地を押しつけているのは誰か?ー実際「沖縄差別を解消するために 沖縄の米軍基地を大阪に引き取ろう!」と書かれたバナーを持って街頭でビラを配ったら、人々に極めて明確にメッセージが伝わるような気がします。基地問題が、いきなり『他人事』から『自分事』になる感じ。


沖縄に基地を押しつけているのは日本人だ、という事実を日本人の多数派に分からせるためには、ホントに、こうでも言わない限り無理なのではないか。もしかすると、残念ながら、そうなのかもしれない。くやしい。


現実的に、沖縄現地のいまの闘いと、沖縄の声がヤマトにも少しずつ広がりつつある現状から、辺野古新基地建設を阻止出来るかもしれない。でも本当に辺野古新基地を阻止できても、普天間基地は、オスプレイは、まだ、そこにある。辺野古の基地を阻止しても、沖縄への差別がなくなるわけではない。


だから、実は「辺野古の新基地建設、反対」だけを掲げることは、沖縄差別の延命に過ぎず、単なる偽善でしかない。そもそも「普天間基地の返還を」ではなく「辺野古の新基地反対」と言わざるをえない事が、力関係で負けている。


もちろん問題は日本政府の方針それ自体の方にある。いま辺野古に基地を作ろうとする日本政府の方針は、琉球王朝をつぶして琉球処分をし、沖縄戦で『捨て石』にして多くの県民を殺した政策と同じものだ。独立時に米国に沖縄を貢ぎ、復帰時も「核抜き本土並み」は無視された。今度は辺野古が貢ぎ物だ。


沖縄はヤマトのための捨て石ーそれこそが、歴史的にはずっと、日本政府の方針だった。だから、私は、その日本政府の歴史的に一貫した政策にこそ、反対していきたい。もし私が「京都に基地を引き取る」と言わないのであれば、それが私の引き受ける責任だと、改めて思わされた。


【参考記事】

▼ただひとつの手段は米国に直訴し続けること(植村秀樹)
http://politas.jp/features/7/article/402

> 空軍嘉手納基地は同盟にとって死活的に重要だが、海兵隊基地の重要性について納得できる説明を聞いたことがない。政治的なコストは非常に高いにもかかわらずだ。(マイケル・アマコスト元駐日米国大使(在任1989‐1993年))

辺野古移設問題の「源流」はどこにあるのかーー大田昌秀沖縄県知事インタビュー
http://politas.jp/features/7/article/400
※沖縄差別の歴史が分かりやすくまとめられています。

▼「本土」の私たちは「県外移設」を受け入れるべきだ(高橋哲哉
http://politas.jp/features/7/article/399
> 日本の反戦平和運動は、「安保廃棄」を目ざすなら、県外移設を受け入れた上で、「本土」で自分たちの責任でそれを追求するのが筋だろう。
> 辺野古移設阻止の現場闘争をリードしてきた山城博治氏は、大田昌秀知事が安保の「応分の負担」を「本土」に求めて以来、沖縄は「一貫して」「県外移設」を訴えてきたと書いている(同氏「沖縄・再び戦場の島にさせないために」『琉球共和社会憲法の潜勢力 群島・アジア・越境の思想』未来社、201頁)。「本土」の私たちが問われているのは、この声に向き合うことができるかどうかである。

▼「慣らされていく感覚が怖い」 沖縄で基地とともに暮らすということ(
吉野太一郎)
http://www.huffingtonpost.jp/2015/07/06/living-in-futenma_n_7734804.html

LGBT映画祭Framelineによる、イスラエルのアパルトヘイトとの共犯関係に抵抗しよう

 先月の6/19(金)から、サンフランシスコ(SF)で、「パレスチナのためのクィア映画祭」である「Outside the Frame」が開かれました。これは、同時期にSFで開催されたLGBT映画祭Framelineイスラエル政府との関係をやめないことに抗議して開催されたものです(確かFrameline映画祭は、米国もしくは世界で初めて開催されたLGBT映画祭のハズです。)。以下はその紹介のウェブページを邦訳したものです。ピンクウォッシングを考える参考までに、紹介です。
(※厳密な訳ではありませんので、だいたいの意味をとる程度にご利用ください)


LGBT映画祭Framelineによる、イスラエルアパルトヘイトとの共犯関係に抵抗しよう

http://outsidetheframefest.org/


 クィア・コミュニティーの一員として、私たちは、イスラエルアパルトヘイトとの共犯関係にあるFramelineに挑戦する映画祭「Outside the Frame」を開きます。この映画祭は、イスラエル政府とのパートナー関係をFramelineが続けているために、Framelineから映画を引き上げた、もしくは上映申し込みをしなかった映画製作者の作品を上映します。映画祭は、帝国主義に反対する闘いの中におけるLGBTQIの映像文化の役割を信じ、また寄与している他の人々からの作品も含む予定です。


 Outside the Frameでは、最先端の映画や、ライブパフォーマンスを上演します。それは、正義のための広い国際運動の文脈の中に、ゲイ/レズビアンの課題を位置づけるでしょう。映画祭では、映画製作者とパフォーマンスアーティストとが一緒に、パレスチナにおけるイスラエルの政策に反対し、イスラエル大使館による寄付金を通じたFrameline映画祭のピンクウォッシング抵抗します。


 映画祭は、クィアの解放運動のルーツに戻り、ラディカルな社会変革の未来をもう一度想像します。映画祭は資本主義に反対し、政府や団体からの支援金を受け取ることを拒否します。全てのプログラムは無料で、全ての人に開かれています。

同化ではなく解放を

映画祭は、解放ではなくて同化が支配的な物語になった事に対して共に疑問を呈することを、全てのクィアな人達に呼びかけます。例えば、ただ単にクィア系の文化企画に資金を出したり、イスラエルプロパガンダに使われるクィア映画制作を支援するだけなのに、イスラエルクィアの"友達"である、という物語です。パレスチナ解放を含む社会正義を求めるクィア活動家として、私たちは知っている。イスラエルクィア解放の闘いを組み入れようと試みているその一方で、イスラエル政府は、パレスチナクィアを含むパレスチナ人を殺し、追放し、権利を否定し続けている。これはピンクウォッシングであり、Framelineは関与をやめなければならない。その代わりに、2005年にパレスチナの人達が呼びかけた文化と学術におけるボイコットに公式に関わるべきであり、パレスチナの人々がボイコットの呼びかけをやめるその時までイスラエル政府との繋がりを絶たなければならない。



背景

http://outsidetheframefest.org/background/


 イスラエルアパルトヘイトに対する闘いは、ここ米国においても、人種的正義のための広い闘いの一部です。私たちは米国の活動家として、米国政府による資金援助と政治的軍事的な支援によってイスラエルが行動していることを認識しており、それは完全に、イスラエル戦争犯罪の共犯です。私たちは皆、解放と平和な世界のための闘いである国際的なBDS運動(ボイコット・資本引き上げ・制裁)に参加しています。「Outside the Frame」は、私たちにとって、クィア解放の文化を創造し探求する場です。参加してください。


 ほぼ10年前、パレスチナ人の闘いを支持するクィア達は、「Frameline(サンフランシスコのLGBT映画祭)」に対して、イスラエル政府と協力することやイスラエル政府から資金を受け取ることをやめるよう働きかけました。これは、イスラエルの虐殺政策に反対するために、ボイコットと資本引き上げと制裁をパレスチナ市民社会の数百の団体が呼びかけていることに、つながっています。電子メールやハガキ、署名、そして、イスラエル政府との協働を望まない多くのクィア達の抗議にも関わらず、Framelineはこの問題を真面目に検討することを拒否しました。


 イスラエルは1948年に建国された事になっています。しかしその前の時代、武装民兵パレスチナ人への虐殺攻撃を行い、人々を追い出し、村を破壊し、土地を奪いました。イスラエル政府はパレスチナ人と交渉する意図がないことを私たちは見てきました。なぜなら、イスラエル政府はアパルトヘイト分離壁を建設し、今もパレスチナに新しい入植地を作り続けているからです。今年初めに、ガザと西岸地区で3000人以上のパレスチナ人を殺したことによっても分かるとおり、これらのイスラエル政府の行いは、今日まで続いています。Framelineがピンクウォッシングとの共犯関係をやめることが、この最近の虐殺でますます重要になりました。


 数年間に渡って、イスラエル政府との関係を維持するという決定における頑固さをFramelineは強めてきました。今年は、アラブのクィアやその仲間たちとこの問題で面会することを拒否するくらいです。Framelineの年に一度の映画祭やFramelineの配給事業から、自分の映画の上映申し込みをやめたり、自分の映画を引き上げる映画製作者の数が増えており、私たちは励まされています。


 

シアトルでのピンクウォッシングに反対する闘いを描いた映画『Pinkwashing Exposed: Seattle Fights Back』

Pinkwashing Exposed: Seattle Fights Back!

ホームページで、全編見れます!ただし英語の映画で、日本語字幕はまだ付いていません。