ばらいろのウェブログ(その3)

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朝鮮総聯の李東一さんのお話がかっこよかった件


 7/28(火)の夜、「宇宙への兵器と原子力の配備に反対するグローバル・ネットワーク」のブルース・ギャグノンさんという人の講演会*1に行ってきました。「日本では、核軍拡問題と宇宙の軍事化問題とは、別の問題であるかのように論じられてきた歴史がありますが、両者を結びつけて理解する絶好の機会」という集会の趣旨に関心を持ったからです。ただ残念なことに、ブルースさんのお話は、通訳がとても良くなかったのもあって何となく今ひとつでした。当日の配布資料には面白いのがあったので、この後、スキャンして載せます。
 そして、ブルースさんのお話の後に、朝鮮総聯の李東一さんが短時間でしたがお話をしました。これがとてもかっこよかった!集会に行って良かったな、と感じました。というか、ブルースさんのお話よりも、李東一さんのお話をもっと聞きたかったです。
 今の日本社会には朝鮮民主主義人民共和国(以下、文脈によって「共和国」「北朝鮮」とします)を仮想敵国としてまるで「悪魔」のように扱い、まともに取り合う必要のない国、相手の意見を聞かなくてもいい国、として扱う論調があふれています。言い換えると、共和国を「自分と対等な権利を持った存在」として扱わなくても良い、という二重規範が日本社会には蔓延しています。私自身はそういった論調には批判的に生きているつもりだったんですが、実はそうではなく、私自身の感覚の中にも、共和国を二級国家扱いする二重規範が入り込んでしまっているという事実に、気付かされるお話だったからです。
 まず李東一さんは、直近のタイムスパンで見た時、現在の日本の過剰な共和国攻撃が、共和国の人工衛星打ち上げを理由に行われていることに触れました。共和国に対する差別的な攻撃は、国策としても民間レベルでも本当に長年日本で続いていますが、確かに、最近の「北朝鮮特定貨物の検査等に関する特別措置法案」(解散により廃案)や、世論の雰囲気は、「北朝鮮のミサイルは怖い」という雰囲気に基づいています。


第一条 この法律は、北朝鮮による核実験の実施、大量破壊兵器の運搬手段となり得る弾道ミサイルの発射等の一連の行為が国際社会の平和及び安全に対する脅威となっており…
北朝鮮特定貨物の検査等に関する特別措置法案


 上の法案を始め、4月の人工衛星打ち上げ時の日本の政府の迎撃態勢や、報道は全て、「北朝鮮弾道ミサイルを発射した」という前提で動いていました。特に報道の力は大きく、「北朝鮮がミサイルを発射したのが怖かった」というイメージが日本では定着しています。この大前提の部分について、李東一さんは、共和国の政府の見解を幾つか紹介しました。時間が短いので少ししか紹介できないが、帰ってからネットで自分で読んでほしい、と添えながら。で、以下は、ネットで読める共和国の声明などからの一部抜粋です。

 宇宙空間を開拓して平和的な目的に利用することは、地球上のすべての国が平等に持つ合法的な権利である。

 彼らは衛星運搬ロケットと長距離ミサイルの技術が区別されないことから、われわれが衛星を発射すれば自分たちへの脅威になるという論理を主張し、国連安全保障理事会で問題視すべきだと騒いでいる。


 わが国に最も大きな罪を犯した日本が騒動の先頭に立っている。


 米国と日本をはじめ、われわれの衛星発射を非難する国々はすべて、われわれよりも先に衛星を打ち上げた国々である。


 衛星発射技術が長距離ミサイル技術と同じならば、これらの国々こそミサイル技術もいち早く開発し、多くの内容を蓄積してきたことを示すことになる。


 自分たちはいくらやってもよいが、朝鮮はやってはいけないという強盗のような論理は、われわれに対する敵対感の表れである。


 自分たちが敵視する対象は自衛の手段も所持してはならないばかりか、平和的な発展もしてはならないという破廉恥な強権と専横が通じると考えるなら、それは大きな誤算である。


 世界で衛星を打ち上げている国は1つや2つではないが、国連安全保障理事会が個別の国による衛星発射を取り扱って問題視したことはない。


 平和的な宇宙研究開発と利用に関する主権国家の自主的な権利に干渉できる、いかなる権能も持たないからである。


 衛星発射技術が長距離ミサイル技術と区別できないからといって、国連安保理で取り扱われるべきだというのは、テーブルナイフも銃剣と同じ点があるから軍縮の対象にすべきだという強引な主張も同然である。

 対話で敵対関係を解消することができないなら、われわれには敵対行為を抑止するための力をさらに強化していく道しかない。

[朝鮮新報 2009.3.27]


朝鮮外務省スポークスマン談話(全文) 「強権と専横は通じない」

 Q 現在まで人工衛星を打ち上げた国はどれくらいあるのか。


 A 自国で開発したロケットで衛星を打ち上げた国は世界的に見ても決して多くはない。旧ソ連が1957年10月、世界で最初に打ち上げた。その後、米国、フランス、日本、中国、英国、インド、イスラエル、朝鮮と続いた。今年2月にはイランが打ち上げを成功させた。


 98年の「光明星1号」について、日本は「弾道ミサイルの可能性が高い」(防衛庁最終報告)として認めようとしなかったが、米国、南朝鮮人工衛星だと認めている。米航空宇宙局(NASA)のウェブサイトにも、朝鮮が98年8月29日に「光明星1号」を打ち上げたと明確に記されている*2


そこが知りたいQ&A―人工衛星「光明星2号」発射の意義は?


 4月22日発朝鮮中央通信の報道は、…「ばく大な量のプルトニウムを備蓄し数多くのロケット発射実験を経てミサイル防衛システム樹立を進めている日本が朝鮮の衛星打ち上げに対して言いがかりをつけることはできない」と述べた。


 日本の宇宙開発戦略本部は「光明星2号」が打ち上げられる2日前に発表した「宇宙基本計画」に、外国の衛星を含め今後5年間に34基の衛星を打ち上げると同時に弾道ミサイル探知のための早期警戒衛星技術の研究に着手する内容を盛り込んだ。


 日本は2004年から2008年までの5年間に16基の衛星を打ち上げた実績がある。


人工衛星打ち上げ 日本の過剰反応を非難

Q 議長声明の何が問題なのか。


A 最大の問題点は、宇宙の平和利用に関する国際法上の権利に関して明白な2重基準を犯していることだ。歴史上、国連安保理が衛星打ち上げを問題視したことはない。平和目的の宇宙利用権および開発権の平等性は宇宙条約によって確認されているが、今回の議長声明はこれを完全に黙殺している。宇宙条約は国連が関わって作成されたということを考えるとき、安保理の措置は主権平等、公正といった理念を自ら否定する行為になる。


 外務省声明も議長声明を「国際法じゅうりん行為」と非難。衛星を数多く打ち上げている国々が常任理事国を占める安保理が、国際法の手続きを経た朝鮮の衛星打ち上げに対して2重基準を適用していることをやり玉にあげた。


 「衛星打ち上げであれ、長距離ミサイル発射であれ、だれが行うかによって安保理の行動基準が変わるというところに問題の重大性がある」という朝鮮側の指摘は正鵠を射ている。「自分たちの手先である日本の衛星打ち上げは問題なく、自分たちの言うことを従順に聞かない朝鮮の衛星打ち上げはいけない」という米国の論理を安保理が受け入れたと不信感をあらわにした。


 議長声明は朝鮮側が追加の人工衛星打ち上げを行う権利も否定しているが、「宇宙条約で確認されている、すべての国に認められた宇宙の平和利用という権利を安保理決議が奪いあげる権限はない」(浅井基文・広島市立大学広島平和研究所所長)はずだ。


そこが知りたいQ&A―国連安保理議長声明後、朝鮮の反応は?


 言っていることは、すごくまともです。全ての国は人工衛星打ち上げの権利がある、共和国の2ヶ月前にはイランだって打ち上げている、そもそも日米はいくつの人工衛星を打ち上げているのか。
 にもかかわらず、なぜか日本の世論では、共和国が何か悪いことをしたことにされてしまっています。そして安保理さえ共和国を非難しました。もし日本の人達が「北朝鮮人工衛星を発射するのが怖い」と感じるのであれば、逆にこれまで何度も日本が人工衛星を発射してきた時に、共和国の人が怖いと感じているとは考えないのか。「衛星打ち上げであれ、長距離ミサイル発射であれ、だれが行うかによって安保理の行動基準が変わるというところに問題の重大性がある」という主張は、全くもって正しいです。
 共和国を二級国家扱いしておいて、自分たちとは対等な権利を持った国家として扱わないでおいて、自分では何回も(弾道ミサイル発射にも転用できる)人工衛星を打ち上げをしておいて、「怖い、怖い」とまるで被害者であるかのように振る舞う日本政府と日本の世論。こういう圧倒的な情報と状況の中で、「北朝鮮にも問題があるからなぁ」と思わず思ってしまっている部分が、私にもあったことに気が付かされたのが、李東一さんのお話でした。


 そして私自身にとってショックだったのは、こういった共和国側の第一次情報に自分で直接あたるという基本中の基本を私が怠っていたことに気が付いた時でした。意見の違いがある時、トラブルがある時、特に相手のことを良く思っていない時、そういう時こそ、相手の主張を直接聞いてみることこそが最も大切だという当たり前のことを、私はしていなかった。しかもそういう基本的な情報は何とネットにも載っている。家にいて、ちょっとキーボードを叩けば知ることができる情報を知ろうともせず、「北朝鮮にも問題があるからなぁ」というイメージを(少しであるとはいえ)私自身が持っていたんです。あぁ、何と恥ずかしい。本当に情けない。


 そして、そういったことを気付かせてくれるお話を冷静にしてくれた李東一さんに「お話かっこよかったです」と帰り際に伝えたら、返ってきた答えがこれ。「『かっこよかった』というのはちょっと抽象的ですが、どういう意味ですか」と。いやぁん。私と同じ返し方ではありませんか。私も時々人前でお話をすることがあります。話の後、「良かった」とか言って貰えることもあるんですが、そう言われても意味不明なので、私もいつも聞き返します。「それは、どういう意味ですか、どこが良かったんですか?」と。私はコミュニケーションをしたいとは思っていますが、別に褒めて欲しい訳でも、仲良しごっこをしたい訳でもないからです。


 一度、ちゃんと時間をとって、李東一さんのお話を聞いてみたいなと思いました。また、日本人はもっと李東一さんのお話を聞くべきだ、と思いました。共和国政府についての話をするなら、直接、朝鮮総聯の人の話を聞いてみようというのは、当たり前の態度のハズ。しかもすぐ近くに住んでいて普通に日本語で共和国政府の主張を教えて貰えるんですから。特に共和国政府に批判や違和感がある人こそ、お話を聞くべきだと思います。
 誰か一緒に、企画化しません?


在特会問題についても、京都で公的に開催された討論集会が私の知る限り一つもなくて抗議デモと署名だけがあったのは変。児童ポルノ法も賛否を話し合うような集会とか全然無い。平場で人々が討論する機会が最近全然無い感じが変だと最近思っているのです。共和国への攻撃問題に限らず。)



附記:

  • 私自身はアナキスト系左翼であり、特に旧来型の組織のあり方には批判的です。というか、極めて相性が悪いです*3。そしてそれは、朝鮮総聯についてもおそらく同じです。ただ、今回は論点を人工衛星打ち上げのみに絞って検討しています。
  • 本記事のコメント欄は原則として人工衛星関連に限定します。その他の論点については、コメントではなくトラックバックを使って下さい。

8/2追記
NASAにおける共和国の衛星打ち上げの記述は以下にあるみたい。
「1998 Worldwide Space Launches」
http://www.hq.nasa.gov/osf/1998/launch98.html
 
 
 
 

*1:http://list.jca.apc.org/public/cml/2009-July/000741.html

*2:どこのことを言っているか分からないが、例えば「COMMERCIAL SPACE TRANSPORTATION: 1999 YEAR IN REVIEW」 http://science.ksc.nasa.gov/shuttle/nexgen/Nexgen_Downloads/FAA_AST_CommSpace_99_Rev.pdf のPAGE 9にはこう書いてある「1998年にブラジルと北朝鮮人工衛星を打ち上げようとしたが失敗した/Brazil has made two launch attempts, and North Korea attempted to deploy a satellite in 1998. None were successful.」

*3:参考→「みんな」にとって公平な運動と社会を創るために〜社会運動内部の権力について考えてみる〜 http://sakura.canvas.ne.jp/spr/lunakb/rinri-6.html