ばらいろのウェブログ(その3)

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フェミニズム系の名言を集めるという「#femibot」

フェミニズム系の名言を集めるという#femibottwitterの企画なので、最大で140文字という厳しい制限がありますが、こちらはウェブなので気にせずに長いままです(笑)お楽しみ下さい。


参考

 1994年に発行された「女性学年報第15号」には、私はとって影響を受けました。特集は「”マイノリティ”とフェミニズム」。書かれている内容もいいですが、それにも増して、あぁなるほど、こういう風な立ち方やものの言い方をしてもいいんだ、原稿の依頼人や編集部を批判するものの言い方もありなんだ、こういう言い方をしないと伝わらない事というのもあるんだ、ということを、学んだと思います。
 まず、鄭暎惠さんから。いきなりこう始まります。

本稿は「在日韓国朝鮮人」の男性と女性に向けて書いたもので、読者として日本人を想定していません。
(鄭暎惠「開かれた家族に向かって―複合的アイデンティティーと自己決定権―」の書き出し部分 女性学年報第15号 1994)

現在「在日韓国朝鮮人」の運動は混迷しており、それは自らのうちにある矛盾からくるものと、私は認識しています。その矛盾を解く鍵のひとつが、性差別を問うことで見えてくると思います。
(鄭暎惠「開かれた家族に向かって―複合的アイデンティティーと自己決定権―」女性学年報第15号 1994)


 これに続く文章も改めて読み直してみましたが、今読んでも覚悟が座っていて、かっこいいです。鄭暎惠さんが自分自身で考えたことだからこそ、はっきりいろいろ書けるんだろうなと感じました。
 そして次は、掛札悠子さん。

「少数であること」と「見えないこと」はまったく別物だ…「レズビアン」は「少ない」のではなく、そのはるか以前に「見えない」、あるいは「見えなくさせられている」のだ。
(掛札悠子「レズビアンはマイノリティか?」女性学年報第15号 1994)

今号の『女性学年報』において「マイノリティ」として陳列された集団、それらの集団に属する女性たちが、いつまでも他者への想像力を持とうとしないフェミニズム(女性学?)や女性解放運動の主流派(とすら実感しないから、容易に「マイノリティ」という言葉を発せたりもするのだが)に新しい話題を提供するだけの存在として扱われないことを望む
(掛札悠子「レズビアンはマイノリティか?」女性学年報第15号 1994)

男が女の言うことに耳を傾け、女性を差別しないようにと頭をめぐらすことは大切だが、実際、男が女のために、自分たち男が独占している場所を自ら空けていかなければ、現実はなにひとつ変わらない
(掛札悠子「レズビアンはマイノリティか?」女性学年報第15号 1994)

それとまったく同様に、フェミニズムや女性解放運動の中で「マイノリティ」として、そうではない人たちから扱われている女性たちの声がただ聞かれ、珍しがられ、うなずかれるだけでは意味がない。私たちは「参考」扱いされる過去や遠い異国の存在ではなく、今、ここに生きている女の一人なのだから。
(掛札悠子「レズビアンはマイノリティか?」女性学年報第15号 1994)

片方が場所を空けていくと同時に、片方が可視化に伴う恐怖と闘いつつ今までは自分たちの場所のなかった所へ出ていくこと。こうした実を伴った変革の重要さは、男と女の間で既に実証済である。
(掛札悠子「レズビアンはマイノリティか?」女性学年報第15号 1994)

そして実際、場所を空けていくことが、恐怖や嫌悪、みずからの地位が脅かされるのではないかという感情ゆえに難しいこともまた、実証済である。
(掛札悠子「レズビアンはマイノリティか?」女性学年報第15号 1994)

レズビアン」、被差別部落出身者、在日韓国人/在日朝鮮人、在日外国人、「日本人」と強制的に括られてきた多民族、性産業従事者、「障害者」等々の女たちに対する、そうではないそれぞれの女たちの恐怖や嫌悪感がどのように露呈され、的確に処理されていくか。恐怖や嫌悪感がフェミニズムという道義の元で抑圧され、いっそう歪んだ悪質なものになっていくのをどう防いでいくか。これが、フェミニズム(と呼ばれるものすべて)、そして、私自身の今日からの問題だ。
(掛札悠子「レズビアンはマイノリティか?」女性学年報第15号 1994)


 多分この頃だったと思うんですが、多分おそらく大阪でのパネルか何かだったと思うのですが、そしておそらく確か鄭暎惠さんか掛札さんのどちらかの発言だったと思うんですが、「いま私がこうやってパネラーとして発言の時間と機会を与えられているが、10年前には、いま私がここで発言を許されたのと全く同じ理由によって、私の発言は聞いてもらえず、発言の機会は与えられなかった。社会の仕組みは、まったく変わっていない」みたいなことを言ったはず。人に聞いたのか、テキストがあってそれを読んだのか、すっかり忘れてしまいましたが、これも、フェミニズム名言のひとつ。

 「見せ物」「陳列」といえば、これもかっこいい。

この写真を見ているあなたには私がどんな風に見えるのだろう?
「誇り高き」と書いたのはそこに自分がアイヌであり、ディスレクシア(軽度発達障害の一種)であり、いろんな自分の土台に誇りと名付けました。私が目指す社会は「逸脱したいろんな人が認知される平和な社会(笑)」なので、その為にはこのように見せ物になるリスクは厭いません。
そしていつの日にかいろんな人が暮らせる社会になって「人権博物館なんてものがあったなんて信じられないね」なんて言える日が来たらいいな。
(岩間陽子 リバティおおさか=大阪人権博物館「私たちは誇り高きバイセクシュアル」と書かれた看板を持つ写真と共に掲示私たちは誇り高き「バイセクシュアル」


 さてまた女性学年報に戻ると、高橋りりすのテキストもあります。りりすは、表現がとってもステキ。

運動の中には身分制度があり、フェミニズムを説く人(有識者フェミニスト)、それを拝聴する人(草の根一般フェミニスト)、そのネタになる人(サバイバー)、という具合に、役割分担が決まっている。
(高橋りりす「サバイバーはフェミニズム運動のネタに過ぎないのか」女性学年報第15号 1994)

サバイバーは運動のネタであり、運動の役に立つサバイバーと役に立たないサバイバーがいる。「フェミニスト」たちが自分自身の「性的傷」には触れずに性暴力と闘うための「代理戦争」の道具になってくれるサバイバーは、役に立つサバイバーである。
(高橋りりす「サバイバーはフェミニズム運動のネタに過ぎないのか」女性学年報第15号 1994)


 性暴力といえば、これを押さえておかないと。

「レイプは女性に対する最大(強調)の侮蔑」とは、私は口が裂けても強姦されて膣が裂けても言いたくない。
(松浦理恵子「嘲笑せよ、強姦者は女を侮蔑できない」朝日ジャーナル 1992)

最後に。たとえ強姦されても、殴られ縛られ輪姦され浣腸されエイズをうつされても、命さえ無事ならば私は、「それでも女はへこたれない」と不敵に笑うことを誓う。
(松浦理恵子「嘲笑せよ、強姦者は女を侮蔑できない」朝日ジャーナル 1992)


 さてそろそろ方向を変えてみます。私の大好きなカリフィア♪

思慮深く思いやりのある人間ならみな、早急にこの健康危機(注:エイズ)に取り組まねばならないという時に、ゲイの男性だけがろくに返礼もしないでただ女性の献身をむさぼっているのには注意を要する。
(パット・カリフィア「パブリック・セックス」邦訳本1998)

ほとんどのゲイはいまだにフェミニズムについてはまったく知らないし、中には女性の体を蔑んでいて、レズビアンに対して敵意を抱いている者さえいる。
(パット・カリフィア「パブリック・セックス」邦訳本1998)

もしゲイの集まりの中からも乳癌の研究のために資金を集めようとする運動が出てきたり、慢性病や命に関わる病気にかかってしまった女性の介護をしようとするボランティア運動が湧き起こったりしたなら、わたしのこの怒りも少しは和らぐことだろう。
(パット・カリフィア「パブリック・セックス」邦訳本1998)

 あ〜ん、この前からずっと「差別と共生の社会学」を探しているのに見つからない!ドミティーラの発言も、もう一度本を読み直したら、いいのが出てきそうだなぁ。
 最後は、イラン女性の言葉。現実は、たくましいです。

さあ、もうくよくよするのはやめなさい。処女じゃないのがそれほど惜しいなら、刺繍すればいいでしょ!
マルジャン・サトラピ「刺繍 イラン女性が語る恋愛と結婚」)