ばらいろのウェブログ(その3)

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暴動!暴動!釜ヶ崎の暴動!


 またまた例年のごとく、関西クィア映画祭の試写とミーティングが毎週あったりして、なかなか世間のことに疎くなってしまう時期になってきたんですが、昨日も地震があったことを少し遅れて知りました。
 それから、また釜ヶ崎大阪市西成区・愛隣地区)で暴動があったということも、携帯電話に配信されるニュースで知りました。
 ニュースでは、まるで労働者が無茶をしているとか、扇動している活動家がいるとか、そんな言い方もあるようですが、おそらくそれは事実と異なります。端的に言って、一番悪いのは西成警察署です。暴動の写真と、現地メモを、引用して掲載します。私の経験からいっても、以下のサイトの記述内容は、信頼できると思います。


 きのうと今日、西成署の刑事たちによる暴行事件への抗議活動が多くの釜ヶ崎の労働者によって行なわれている。13日から14日にかけては、新聞報道では10人が逮捕された。


 抗議活動を呼びかけた「釜ヶ崎地域合同労働組合釜ヶ崎炊き出しの会」のビラによると、鶴見橋商店街お好み焼き屋に行った労働者(生活保護受給ということなので、元労働者と言うべきか)が、店員の態度に苦情を言ったところ、 店員は「営業妨害だ」と言って警察に電話した。労働者はパトカーの署員にいきさつを話したが、そのまま西成警察に連れて行かれた。パトカーに乗せられた労働者は西成警察署の個室に連れて行かれ、イスに座らされ、4人の刑事に変わるがわる顔を殴られ、紐で首を絞められ足蹴にされ、気が遠くなるとスプレーをかがされ、気がつくとまた暴行。挙句の果ては両足持たれて逆さ吊りにされた、という。
なお、西成署は暴行を否定。事実確認は完了していない。


 昨日(13日)夕方、西成警察署前に多くの労働者が集まり、「暴力警官は謝罪せよ」「署長は出てきて謝れ」と抗議を開始。暴行を受けた当事者も、殴られて腫れ上がった顔や、首に縄で締められた跡が生々しい状態で抗議に参加した。話を聞いている最中、「オレもやられた」と話に入ってくる人がたくさんいたという。


 夜8時30分ごろから、府警の機動隊数百人が出動し、それと同時に労働者側から空き瓶や自転車、石などが投げつけられ始めた。さらに、フェンスを越えて署に突入した労働者など10人が逮捕された。報道によると、逮捕者には女子高校生一人が含まれている。抗議活動の中で負傷した労働者は救急車で病院へ運ばれているという。
(後略)


引用元:■2008/6/14■ 釜ヶ崎でこういう光景を再び見るとは思わなかった


●正直、私にとっても、い・ま・だ・に・西成署の警官が釜ヶ崎の労働者・野宿者に対して暴行を加えているというのはやや驚きですが、残念ながらそういう現実があるようです。多くの市民は「警察は味方だ」「警察が自分を守ってくれる」と安易に誤解していますが、そうではない事実があることも、知っておく必要があると思います。
 これは、ホントは、西成警察署に抗議の電話を入れるのがいいかも。


●リンク先の文章では「なお、過去の暴動では、周辺への拡大や商店への略奪、放火などが起こっている」と該当の日付の文章の末尾に書かれています。92年の暴動の時は私も現地に行きましたが、その当時の印象では、商店を襲っていたのは、釜ヶ崎の労働者というよりは、主に釜ヶ崎の外部から来た若者達、という印象もありました。また、実際引用元の記事にもある通り、釜ヶ崎の労働者・野宿者に対して失礼で横柄な態度をとる商店も結構あるようなので、そういう店が襲われるのは当然、という面もあるかと思います。
 おそらく釜ヶ崎労働者・野宿者による略奪もない訳ではないとも思いますが(どこにでも、釜ヶ崎にも、いろんな人がいるはずだから)、そのあたりはもう少し丁寧に考えたいなと思いました。


最新情報などはこちらへ→釜ヶ崎パトロールの会
と思ったけど、せっかくなのでこちらからも引用。
写真が載っていたから生田さんのサイトを先に引用したけど、記事としては以下の釜パトの記事の方が詳しくていいかもです。

釜ヶ崎での昨夜からの「事件」について、マスコミ報道はあまりに事実を伝えていません。居合わせた知人の報告を掲載します。
(以下)
前日12日の午後3時ごろ、鶴見橋の店で警察を呼ばれ、西成署に連れて行かれた労働者が暴行された経緯は、釜合労がメールやビラで知らせていた通り、以下のようなもの。
当事者となった労働者は、無銭飲食などではなく、つっけんどんな客扱いに不満を言っただけのことだった。
で、連れて行かれた西成署の3階の個室で、4人の刑事に代わる代わる顔を殴られ、紐で首を締められ、足蹴りされ、挙句の果てに両足持たれて逆さ釣りにされた。
気が遠くなると、スプレーをかけられたと言う。
生活保護を打ち切ると脅かされて、その店に近づかないという始末書まで書かされている。


その抗議行動が、13日の夕方5時半から、いつものように、西成署正門前に街宣車を置いて始められていた。
ぼくはたまたま大国町に行かねばならない用事があり、それを見ながら通り過ぎていたのだが、打ち合わせが終わった帰りの午後8時半ごろ、出城の交差点過ぎて、南海線のガードに近づくと、機動隊が1個小隊、整列して待機しているのに出くわし、まだやってるのかと思って現場に行くと、300人は下らない労働者が西成署を取り囲んでいる所だった。
街宣による抗議は7時半くらいにいったん終り、いつもなら抗議が終わったら自然に人も引いて行くのだが、今回は激しくなるばかり。
それで、ひょっとして誰か持って行かれたんやないかと思い、知った面々をつかまえて聞いてみると、それはなかった。


抗議していた面々や、暴行を受けた当事者の人とも会い、殴られて腫れ上がった顔や、縄で締められた跡が生々しい首などを見せてくれた。
警察の取り調べで紐で首を締めるか?普通。
付き添って行った人の話だと、病院の医師も「これはやりすぎや」と言っていたという。


そうした話を聞いている最中にも、「オレもやられた」と話に割り込んでくる人がたくさんいるのもいつも通り。
「あんた、よく言ってくれた」と涙を流している労働者もいる。
西成署に「覚え」のある人は、いたるところに居る。
でも、9時をまわってこの騒ぎはさすがに異常に感じられた。


言っておくが、街宣車の拡声器を使った抗議は、その時間には終わっており、誰も扇動などもしていない。
11時ごろ、稲垣さんがマイクを使ったが、それは、労働者同士で起きたケンカを諌めるためだった。
(後略)


引用元:釜ヶ崎の暴動釜ヶ崎パトロールの会