ばらいろのウェブログ(その3)

ひびのまことの公式サイト→ https://barairo.net/

私も実は時々「ウルトラ・マジョリティー」でもある件について


 以下は、脳内ぐるぐるへのコメントです。はじめコメントとして書いていたんだけど、コメント欄が「400字まで」だったので、トラックバックで。



 以前友人のFtMが「FtMであることと女性差別との関係」で悩んでいた時にもアドバイスしたことなんですが、いったん性の話から離れて、「民族/国籍」や「障害」など(が、該当するなら)、まめたさんが「多数派/マジョリティー」となる別の角度から考えてみると、いいかもしれませんよ。つまり、まめたさんにといって「男子であること」は微妙な話ではあるかと思うんですが、まずそういう点ではなく、「明らかに自分が多数派/マジョリティーである」という論点、「どうあがいても自分は多数派側で権力者側でしかない」点について、自分ではどういう立ち方をするのかを一度ちゃんと詰めて考えてみると、構造が割とすっきりと分かるかと。
 私の世代の左翼活動家にとっては、「自身の持つ特権とどう向き合い、どう取り扱うのか」は、何をさておいても重要な論点でした(私が京大生だったというのもあるかも)。実際に寄せ場(日雇い労働者/今でいう野宿者が多く集まる場所)の労働運動の支援をしたり、青い芝の会(脳性マヒ者の運動団体)と出会ったりする中で、「自分がおかれている社会的位置」の問題と、「自身の責任と行動」の問題を分離した上で、自身の責任から逃げないことの重要性を学んだというのが、私の歴史だったりもするからです。勿論その際には、「政治的に正しい行動をとることができない自分」とどう向きあうかについてウーマンリブフェミニズムが積み重ねてきた経験を、とても参考にしましたが。(この論点でのお薦め http://www.macska.org/emerging/03-minkowitz.html )
 やっぱり最後はフェミになってしまいましたが、繰り返しますが、性の話とは無関係な点で、自身がマジョリティーである点について、ちゃんと考えると、とても参考になると思います。