ばらいろのウェブログ(その3)

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ヨシノユギさんの裁判について議論に!


 実は全く予期していなかったのですが、このLIKEのオフ会の後半、ある参加者につかまってしまいヨシノユギさんの裁判について延々と議論をしてました。他のオフ会参加者と話す時間が無くなってしまったという点では残念ですが、じっくり話せたことは収穫でした。「手術に失敗はつきものだ」「壊死程度のことでは失敗とは言わない」「もっとひどい例もいっぱいある」「そんなに失敗したくなかったら、もっとオペの上手いところで手術すべきだった」「ちゃんと事前に医者の下調べをすべきだ」「そもそも大阪医大で第一例目の患者として手術することを選んだのが失敗」「裁判のおかげで(医者側が萎縮し)他のFtMが迷惑を被っている」「性同一性障害と言うな」など、ヨシノ裁判やヨシノさんへの批判点は特に新しい論点ではなかったのですが、その批判も実際にFtMとしての人生経験に裏付けられた感情や感覚に基づいての批判ではあり、実はそんなに距離の遠い人との議論だとは私は感じませんでした。


 例えば、水俣病の患者としての告発が、多くの水俣病の患者や水俣の市民には(当初は)受け入れられ難いこと。不当な労働条件のもとで働く労働者が、労働者としての権利を主張する労働組合を支援ではなく非難したり裏切ったりする側に廻ることは決して珍しくないこと。多くのゲイは、ゲイとしての権利主張には必ずしも積極的ではなく、逆にゲイリブが嫌いな人も多いこと。こういうことは、社会運動の分野では別に珍しいことではないです。社会的な不正や不適切な力関係が社会にある時、それを告発する声は、その社会的不正となれ合って(共犯関係の中で)普通に生活している多くの人達の日常生活の欺瞞性まで告発することになるのですから、権利主張が特に少数派や被害者の当事者に反発を受けるのは、当たり前のことなんだと思います。そしてだからこそ、最も厳しい批判を浴びせてくる関係者達の中に入っていてこちらから語り掛けるというコストを負担することこそ、活動家が引き受けるべき仕事なのです。
 「壊死程度のことでは失敗とは言わない」「もっとひどい例もいっぱいある」などの意見は、実は今のFtMの医療がどれほど劣悪な状況に置かれているのかを示す証言な訳です。こういった事実認識を持っている人は、FtM医療の現実には実は深い関心もなく無責任にヨシノ裁判を支援するような人達より、本当はもっと「仲間」になれる可能性があります。だって、こんなにひどいFtM医療の状況は、変えたいじゃないですか―という根本の利害は一致しているんですから。
 「裁判のおかげで(医者側が萎縮し)他のFtMが迷惑を被っている」というのも、短期的に見れば当然そういう側面もあるでしょう。権利を主張する、闘う、ということは、「周りに迷惑を掛けること」と同義です。だからこそ、特に関係者に対してこそ、積極的に丁寧な説明をすることが必要なんだと思います。
 積極的にFtMコミュニティーや自身を批判する人達に語りかけるのではなく、ヨシノさんを無責任に持ち上げることができる人達に支援を求めているように見えること*1など、ヨシノさんの言動には私にとって不十分に思える点もあります。また支援グループの「ヨシノ支援プロジェクト」のあり方にも、ここでは今は具体的には書きませんが、やはり不十分・無責任な点があると私は考えています。そういった観点からは、オフ会での批判者の気持ちにはいくつかは納得も共感もできました。ただもう一歩、考えを進めて欲しい。仮にヨシノさんやヨシノ支援プロジェクトに不十分な点があったとしても(それはそれとして批判したらいい)、いまのひどいFtM医療のあり方をより良くするための試みとして、ヨシノ裁判は大筋で正しい主張をしていると思いませんか?ヨシノさん個人には共感できなくても、ヨシノさんの主張を支持することはできませんか?ヨシノさんは単に手術が失敗したから訴訟を起こした訳ではなく、手術後に大阪医科大と直接話し合いもし、医者側との合意を創るための努力もしたけれど、しかし大阪医大側のあまりに不誠実な対応に怒って裁判を選択せざるを得なかった、という部分があるとは思いませんか?オフ会でもお誘いいただいた「ヨシノさんを批判する意見が圧倒的だというFtMの人達の集まり」にも私は是非参加したいです。FtM医療については私は素人ですので、もっといろいろ教えて欲しいし、ここに書いたようなことももっとお話ししたいです。意見が違うからこそ、対話が必要なんです。お名前は書きませんが、是非是非誘って下さい〜♪

*1:そして付け加えておくと田中玲さんの問題に主体的に対応していない(ように見える)こと