ばらいろのウェブログ(その3)

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クィア学会における伏見憲明さん問題について


昨年のクィア学会での私の報告について、伏見さんが「苦情」を言い立てるという事件がありました。この件については、伏見さんからクィア学会幹事会に出された要求は、全て公式に拒否されて現在に至っています。今さらながら言いますが、当然のことです。ただ、それだけ。


ひびのの報告


伏見憲明さんの主張


クィア学会幹事会からの公式返答


ただ、本件については、伏見さんの思想信条を丁寧に検討する良い機会なので、先ほど以下のメールを伏見さんのメルアドと、ポット出版のお問い合せのメールフォームに送りました。
返事が来ると良いんだけどね(笑)

伏見憲明さん


 こんにちは。
 昨年のクィア学会では、相変わらずの伏見節がご健在のご様子で、何よりでした。実はわたしの学会発表の内容がご不快だったようですが、目の前にいる私には直接何も言わないで、その代わりに学会の幹事会に文句を言う態度は、伏見さんらしいやり方だと私は思いましたが、見苦しく感じられました。そんなに私と話すことが怖いですか?いつでも私は話し合いに応じますよ。というか、実はこれまであなたに対して対話の申し入れを行った時にはそれには一切応じず、学会という「権威的な場」でお名前を出したとたんに食いついてこられた態度、とても伏見さんらしくて分かり易くて素敵です。


 なお、私は、クィア学会第一期幹事会の伏見さんへの回答は内容的に不適切なものを含んでいると考えていますが、今回はそのことは取り上げません。


 ご存じの通り、私は、昨年度のクィア学会において、以下の報告要旨をプログラムに掲載し、学会報告を行いました。

「マジョリティーとしての責任をとる」とはどういうことか
ひびのまこと
 男性特権への無関心やバイセクシュアル攻撃、同性愛者中心主義など権力志向の言動を繰り返して来た伏見憲明さんをクィア学会の設立大会でパネルに呼びながら、その場で本人への明示的な批判をしなかった(らしい)学会側のパネラーや参加者への批判の意味も込めて、今回は伏見批判をする予定でした。が、自身の持つ特権の責任をひき受ける意志のある人達と建設的な対話をした方がより実り多いので、上述の趣旨を裏側から言い直して、標記の発表をします。伏見さんは、自身の特権に鈍感な活動家の例として言及予定。
 クィア学会を「学者の集まり」にしないことを意図し、敢えてアカデミック体裁を取らず、活動家としての問題提起を行います。


 発表は、多くの方のご参加を得て、充実した内容になりました。伏見さんもご自身で発表を聞きに来られるのかなと思っていましたら、歩いて5分の場所におられたにも関わらず発表会場にはお越しにならなかったようで、残念でした。


 さて伏見さん、あなたは、私の報告要旨について「誹謗中傷にもなりかねない文章」「研究者個人の名前を挙げて、それをただ攻撃するような文言」「特定個人への政治的な攻撃」「発表者のたんなるへ理屈」などと述べておられます(http://www.pot.co.jp/fushimi/jaqs)。こういった見解を伏見さんからお聞きすることは、私にとっては初めは大きな驚きでした。というのも、私は、あなたは確信犯的に「ゲイ男性中心主義」を主張しているのだと思っていたからです。
 例えば、あなたは「レズビアン&ゲイブックガイド2002(2002年07月22日作成)」(その後「同性愛入門[ゲイ編]」に収録。http://www.pot.co.jp/fushimi/img/douseiainyumon/111_134.pdf)において、以下のように述べています。


同性愛者と他の性的少数者がいっしょに行動することが「正しく」て、例えば、レズビアン&ゲイだけでパレードをするのは他の性的少数者を「排除している」と言うような主張がネットワークの中で出てきたことも問題だった(「同性愛入門[ゲイ編]P.128-9)


 言うまでもなく、このような言説こそが典型的な「バイセクシュアル攻撃」であり「同性愛者中心主義」の言説です。
 バイセクシュアルは、過去から現在に至るまで、ずっと既に、ゲイ雑誌・ゲイバー・クラブイベント・社会的な企画・ラブリスやアニースなどのコミュニティー系冊子・セクマイ系の様々な団体や運動など、「私たちのコミュニティー」「『レズビアン・ゲイ』と名のついた空間」のあらゆる場所に居ました/居ます。既に同じ場所にいるにも関わらず、そのことを無視して同性愛者だけを特権的に優遇しても良い、同性愛者以外を対等に扱わないでいい、というのがあなたの主張でした。
 「どの教室にも、どの職場にも、どの団体にも性的少数派がいる、だから無視しないで」という言い方で性的少数派の存在と権利を主張してきておきながら、今度は自分たちの場所では、既に目の前にいる「同性愛者以外の性的少数派」を二級市民扱いしてもいい、と言っているのですから、論理的にも破綻しています。
 多くの人の粘り強い働きかけや運動の成果として、今では東京のパレードも名称を「レズビアン&ゲイ」から「プライド」に変えました。現在日本で「レズビアン&ゲイ」を看板にして同性愛者だけを優遇するパレードは、一つも存在しません。このことからも明らかなように、「レズビアン&ゲイ」の看板でパレードをすることは、他の性的少数者を排除・差別・搾取することですし、それ故しばしば問題になり、改善されてきたのです。その意味で、伏見さんのご意見はもはや少数派になってしまいました。しかし私は、あなたはそんな中でも意見を変えていないのだと思っていました。
 「男性特権への無関心やバイセクシュアル攻撃、同性愛者中心主義」というのは、極めておおざっぱに言い換えると「ゲイ男性の都合を中心にしてよい/ゲイ男性を優遇してもいい、と開き直ること」「ゲイ男性以外の人のことは考えなくても良いと言い張ること」とも言えますが、まさにこれこそが伏見さんのご主張ではなかったのですか?私は、こういった主張を伏見さんご自身が自覚的に選択し、意図して(開き直って)訴えているのだと思っていました。


 私は伏見さんに対して「男性特権への無関心」「バイセクシュアル攻撃、同性愛者中心主義」という評価を行っています。これに対しては「それは事実だが、そのことには何の問題はない」「『男性特権への無関心・バイセクシュアル攻撃・同性愛者中心主義』がまるで問題であるかのようなひびのの議論には賛成できない」「ゲイ男性を中心に考え優遇して、何が悪いのか」と言ってくると私は思っていました。しかし実際はその逆に、私の行った評価が「誹謗中傷にもなりかねない」「攻撃だ」とあなたは言っています。ということはつまり、「男性特権への無関心」「バイセクシュアル攻撃、同性愛者中心主義」と評価されることはあなた自身にとっても本意ではなく、そのように評価されることは悪口になる、とあなた自身が考えているんですよね。つまり、あなたご自身の意見としても、「男性特権に関心を持つべきだ」「バイセクシュアル攻撃や同性愛者中心主義には反対だ」と考えているということになりますよね?違いますか?
 これはとても喜ぶべき事です。あの伏見さんも「男性特権に関心を持つべきだ」「バイセクシュアル攻撃や同性愛者中心主義には反対だ」と考えているんだそうです!


 さて本当にそうであるのなら、一つ提案があります。今年のクィア学会で、一緒にパネルをしてみませんか?テーマは例えば【ゲイ男性の都合が優遇されない運動や場所を作るために、自身がすべき事は何か】【ゲイ男性中心主義に自分ではどうやって反対するか】ではいかがでしょう。もしくは再び【「マジョリティーとしての責任をとる」とはどういうことか】でも構いません。パネラーは伏見さんと私で、それぞれが「男性特権への無関心やバイセクシュアル攻撃、同性愛者中心主義など権力志向の言動」に自分としてどうやって反対するかを述べてはいかがでしょうか。とてもいいパネルになるのではないかと思うのですが。
 昨年の学会では、伏見さんの発言のおかげで時間が大幅にとられ、ワークショップでの他の話題がほとんどできませんでした。その意味で、伏見さんは学会会員への説明責任を果たす必要もあると思います。また例えば「男性特権に無関心」「ゲイ男性中心主義」などと私から評価されたことに対して、もし万が一それが事実と異なるのであればその反論をする良い機会にもなります。
 幹事会からの提案では「パネルは3人から」となっていますが、本件は意見が異なる(かもしれない)二人の直接対決(!?)ですので、幹事会にも検討してもらい、皆で相談しつつ形を考えればいいと思います。


 以上、ちょっと不躾ではありますが、ご提案させていただきます。時間的余裕のない提案になったしまったことは、あらかじめお詫びしておきます。時間が必要であれば、今年ではなく来年のクィア学会で、という手もあります。よいお返事を待っています。


クィア学会会員 ひびの まこと
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