ばらいろのウェブログ(その3)

ひびのまことの公式サイト→ https://barairo.net/

クィア学会の中にある人種差別と権威主義


今週末に、東京でクィア学会研究大会があります。
そこで、以下の発表をします。
大会プログラムには英語で要旨を載せていますが、発表自体は日本語で行います。

クィア学会の中にある人種差別と権威主義
 今回の発表では、クィア学会の中にある人種差別と権威主義について、特に第1期幹事会の責任を問題化します。また、昨年度の総会における風間孝代表幹事の発言を、人種差別的な発言であるとして批判的に検証します。


Racism and Authoritarianism within JAQS
This presentation will address racism and authoritarianism within JAQS, with emphasis on the responsibility of the 1st KANJIKAI. The statement made by Kazama Takashi, chairperson of KANJIKAI, at the general meeting last year must also be critically examined as racist statement.

なぜ英語で要旨が掲載されているのか


 クィア学会の昨年までの幹事会は、全くの独断で、学会における会員の研究発表を日本語に限定してきました。実際に日本語以外での発表申し込みもあったそうですが、結局その発表は流れています。
 昨年度の総会で、幹事会にはそのようなことを勝手に決める権限がないこと(越権行為)が大問題になりました。しかし昨年の幹事会がその越権行為を認めず、また何の謝罪もなかったので、昨年度も幹事会提案の活動報告と決算が総会で否決されるに至っています。
 にも関わらず、今年の幹事会は、今年の学会報告の募集に当たり以下のような制限(日本語での要旨)を勝手に求めてきました。

応募要項:
<個人報告の場合>
(1)タイトル
(2)お名前
(3)ご所属(あれば)
(4)要旨(日本語、200-300文字)
(5)発表言語
(6)発表時に使用する機材(機材は希望に添えない場合があります)


 幹事会による越権行為がまた繰り返されています。
 このような幹事会に対して、「幹事会の越権行為を許さない」という意図から、敢えて英語で要旨を出し、学会プログラムに掲載させることにしました。
 結局は掲載させることができたのですが、しかし相変わらず、幹事会の権威主義的体質は一向に改善されていません。つまり、幹事会の独断でまたもや要旨の日本語要件を勝手に設けたことについて、「1:そもそも幹事会にはそんな権限がない越権行為であることの明示的な確認」「2:自らの越権行為によって会員に迷惑をかけたことの謝罪」が行われず、ただ単に、私への何の連絡もなく、学会プログラムに私の要旨が載っただけ、という状況だからです。


クィア学会事務局とのやり取り


 なお、この件に付き、以下の内容を含むメールを、クィア学会事務局(幹事会)にあてて、7/24に送りました。

【2011年7月24日付けクィア学会事務局宛メール】


せっかくですので、幾つか書いておきます。


●今回の要旨は、通常でしたら日本語で書いて出すものですが、現在までの幹事会の越権行為と権威主義に抵抗するという「学会内の運動」としてあえて英語で出しています。幹事会の独自の判断では「要旨の日本語要件」を設けることが出来ない、ということを、幹事会に対して実践で課すことこそが目的です。ですので「日本語での要旨を出せない」のではなく「出す意思がない」のです。また、幹事会の無効な「決定(と称するもの)」に従わないことで何らかの不利益(たとえばプログラムへの非掲載など)を受けた場合には、幹事会に対する「責任の追求」という動き方にならざるを得ません。


●昨年の総会で問題になったのは、そもそも幹事会には「個人報告の日本語要件」を設ける権限がない、それを勝手に設けたのは規約に反する越権行為である」という主張でした。総会における会員からのこの極めて重要な問いかけに対して、現幹事会は一切応答せず、無視という対応です。この現在の幹事会の態度は、まさにそれこそが「権威主義的である」として批判を浴び続けてきたこれまでの幹事会の行動様式と全く同じものです。


●現在の幹事会が「募集要項から日本語要件を削除することで合意*1」というのは、意味がわかりません。そもそも過去の幹事会にはそのような要件を設ける権限がないので、「そもそも無効だったものが、現在も無効であることを確認した」でなければなりません。執行部が規約を無視して越権行為を行なうことを容認することは出来ません。


●幹事会には、個人報告の申込み時に、「要旨」に日本語要件を設ける権限はありません。
本来なら、次回の総会に対して、幹事会から「要旨は日本語で記載すること」という要件の提案がなされ、それを総会で話しあう、という手順で事が進むべきでした。こういった当然の手続きさえ取られないのは、なぜでしょうか。
確かに「全て」についてこういう丁寧さを求めるのはやり過ぎの場合もありますが、事は、まさに前回の総会で問題になった点そのものなのです。
まさに前回の総会で「幹事会の越権行為である」と批判を浴びていた「日本語要件」について、再度、越権行為となる無効な「決定(と称するもの)」を勝手にしたことは、とても残念です。
この件については、ひびのからの批判を受けて、越権行為であることを確認して謝罪の上で幹事会の方針を撤回し、その撤回の経緯を明らかにすることをおすすめします。


●ちなみに、たとえば仮に「要旨は日本語で記載すること」が望ましいと考えるにしても、なぜその方がいいと幹事会が考えるのか、会員に対して一切その理由が明らかにされていないままに、勝手に「要旨の日本語要件」だけが会員には通知されています。
せめて「要旨にもとづいて部屋割りをしているということ、および何らかのミスで申し込みが行われていないかどうか確認するために、要旨は日本語で作成してほしい」という理由を付して「決定(と称するもの)」の報告を会員にする、ということさえ出来ていないのはなぜなのでしょうか。まさに会員に対して「日本語要件」を課したことこそが問題として批判されている時に、それと同じことを、しかも何の理由の説明もなく、再度できるという感性が、全く理解不能です。
理由が説明されたとしても、越権行為であることには違いないので、同じといえば同じですが、まさにこういう会員への上から目線の対応や幹事会の態度こそが、これまで何年も「幹事会の権威主義的な体質」として批判を受け続けているのです。あえて言いますが、「幹事会は、執行部のくせに、必要な説明責任すら果たさず、偉そうです。まるで大学のセンセイや官僚みたい!」。こういった振る舞いの作用は、権威主義的な今の日本社会では、通常の標準的で典型的な行動様式ですが、そういった権力者の権威主義的行動様式をなぞるようなグループは、クィアなどと掲げるべきではありません。事の重大さに真面目に向き合ったほうがいいと思います。


●私は、総会で「要旨の日本語要件」が提案されたら、現状では反対します。
そもそも英語といえば欧米の学者を想定する、というあり方自体が、インテリエリートの不当な前提です。
例えばフィリピンから来日した人たち、英語を第一言語としないアジアから来日している人たち、そういった「既に日本にいるけど、日本語以外のほうが意思疎通しやすい人たち」、つまり、日本国内の言語的マイノリティーたちがクィア学会の主体となって活躍するその可能性、そちらの方にこそ、私は関心があるからです。
日本語ユーザーは日本では超多数派なのであり、「多数派の便利のため」に制度設計をするのはそもそもクィアではないです。(でも、もしそうするなら恥を持ってそうすべきです。)
旧幹事会が主張した「外国語を使用される場合は、必ず日本語の通訳をつけてください」が、いったい誰のための、誰にとっての分り易さのためのものなのか。「少数派の権利」を大切にするのであれば、「誰のための通訳を用意する責任が、多数派や制度側にあるのか」。マジョリティーとしての日本語ユーザーは、真面目に考えるべきだし、だからこそ「人種主義」が問題になるのです。形の上だけで「個人報告の日本語要件」を撤廃してもダメで、旧幹事会や現在のクィア学会全体に「日本人特権の開き直り」が存在することをはっきりと確認し、かつそれこそが人種主義であると確認し、会としての体制を根本的に変革することが伴わないのであれば、単なる形式だけのアリバイであり、意味がありません。


●このメールは、幹事会メンバーや会員に対して公開していただいて構いません。


ひびの まこと


 さて、おそらくこれを受けてのつもりなのでしょうが、「クィア学会ニュース No.32 (2011年9月13日配信)」では、以下のような記述がありました。

1. 大会報告における使用言語について意見募集【重要】


■大会における報告使用言語について幹事会より意見募集のお願い


従来、幹事会は大会報告応募要綱において報告使用言語を日本語としておりましたが、それについて去年の総会において問題が指摘されました。


それを受けて今期幹事会では報告使用言語自体については定めないこととしましたが応募のさいに報告要旨については日本語での記入をお願いすることにしました。


その後、会員の方から要旨の記述を日本語とする点につき説明不足ではないかとのご指摘をいただきましたので、その点について説明させていただきます。


要旨の日本語による記入は、事務手続き上、内容を幹事会が確認する必要があるために(具体的には当学会での報告申し込みであることを確認することや報告プログラム・部屋割りのさいに参照すること等)お願いいたしました。


ご指摘いただいた会員の方にお礼を申し上げますとともに、会員のみなさまに説明不足をお詫び申し上げたいと思います。


その上で、次年度以降の報告使用言語について、2011年度総会(2011年11月12日)で審議するために、あらかじめ会員のみなさまよりご意見を募りたいと思います。いただいたご意見は(個人情報は除いて)総会の場でご覧いただきます。


 あらま、またやっているよ、という感じです。本当に、何の反省の色も見えない、相変わらず権威主義的/官僚主義的な幹事会対応です。
 改めて、以下の点を指摘しておきます。

「越権行為」についてスルーして、総会決定や会員の意見を無視する幹事会

 昨年の総会で幹事会が厳しく批判を受けた主たる論点の一つが、「そもそも幹事会には『日本語要件』を設ける権限が規約上ないにも関わらず、越権行為を行った」という点です。にも関わらず、この主要な論点について、幹事会としての検討をしたあとも、また幹事会としての返答もなく、完全のスルーしてただ単に「それを受けて今期幹事会では報告使用言語自体については定めないこととしました」とのみ書いています。
 別にどのような方向性の意見(例えば「越権行為ではない」という意見)でもかまいませんが、総会で幹事会が厳しく批判を受けた主たる論点について検討も反論もせず、スルーしても良いという態度は、総会軽視ですし、まさにそれこそが権威主義的態度としてずっと批判を受けてきた態度にほかなりません。

「説明不足」に論点を矮小化する幹事会

 上に掲載した私から事務局宛のメールを見ると分かるように、私が主として問題にしているのは幹事会の越権行為であって、説明不足ではありません。「説明不足」という表現は、本来幹事会に決定の権限があるが、充分な説明をしなかった点においては不十分だった、と開き直っていることと同じです。つまり、形の上で謝っているような素振りを見せることで、主要な論点に回答することを拒否し、つまり会員からの意見を無視して自分の都合の良いように利用し搾取する、ということです。繰り返しますが、まさにそれこそが権威主義的態度としてずっと批判を受けてきた態度にほかなりません。



 今年の学会総会では、上記の点についての今期幹事会への責任追及から始めることになります。越権行為を開き直り、総会決定を軽視し、会員に対して権威主義的な態度をとるこれまでの幹事会の態度が根本的に改められる必要があります。またそれを踏まえた必要な謝罪が行われないのであれば、残念ながら今期幹事会を(も)私は一切信任することができません。

*1:ウェブ掲載にあたっての注:「クィア学会第3期幹事会議事録 第2回( 2011年3月22日)」に記載の記述です