ばらいろのウェブログ(その3)

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仲パレでビラを配りました!


昨日あった「仲良くしようぜパレード」で、以下のビラを配りました!
表面のテキストを掲載し、PDF/JPEG版をリンクします。
JPEG版の方では、裏面の文章「なかパレ2014によせてー「仲よく」をめぐるわたしの葛藤となかパレのその先へ」なども読めます。


なお、「STOP!日本人中心主義」などと掲げた当日のバナーはこちら

仲良くしよう

 女性差別/セクシズムに反対するという点から、「仲良くしようぜ」というパレード名称(に象徴される仲パレのあり方)への批判が、以前より出ています。



 「ぼく」や「オレ」を自称する女子がいるのと同様に、「仲良くしようぜ」と言うのは男子だけではありません。しかし一般的にまだ「男言葉」のニュアンスが強い「ぜ」を公的な企画の名称に冠することは、仲パレが男性文化の企画であること、男性中心主義に反対する気が無い企画であるとの印象を与えるには、十分でした。


 いくつかの批判を受け、仲パレのウェブには「仲良くしようぜ」が、カウンター行動の中からきた言葉だという旨が説明されています。寄せられた批判に答え説明しようという姿勢に、私も誠実なものを感じます。とはいえそれは、排外主義者と対峙するカウンターの現場ではない仲パレの場で、街を通行する一般市民に向けて、あえて「仲良くしようぜ」と直接発話することの必要性を十分に説明するものとは、私には思えませんでした。


 これもよく誤解されますが、「ぜ」と発話したり企画名にするのに、女性を差別する意図があるかどうかは、始めから問題ではありません。そうではなく、問題は「女性差別に反対するという目的や効果基準」から考えたときに、「ぜ」の表現が他に比べて望ましい選択であるかどうか、です。言い換えると、「ぜ」の文言それ自体ではなく、パレードとして「女性差別に反対するという目的や効果基準」を判断基準(の一つ)として採用/重視しているか、が問われていたと思います。さて、「仲良くしようぜ」と掲げることは、それ以外の選択に比べて、女性差別を無くすという目的から考えた時、どのように効果的な選択なのでしょうか。誰か、教えてください。
 もちろんパレードには様々な目的がありますので、カウンターとの繋がりを強調する意図から「仲良くしようぜ」とあえて掲げる、という選択もあります。しかしそうであれば、まず「仲パレには女性差別がない」なんて言わないで下さい。全ての問題を一度に全部出来る訳ではない!ーもちろんそうでしょう。だからこそちゃんと、仲パレはセクシズムの問題を後回しにしている、と認めて下さい。


 どうしてそれが必要かというと、他の目的を達成するために女性差別を後回しにしているという点が「仲良くしようぜパレード」の不十分点であると明確に確認できれば、その不十分点を他の方法で補うという対策を取ることも可能になるからです。


 更に逆に言うと、単に「ぜ」をやめても、そのことでパレードに女性差別が無いことにはなりません。仮にパレードに来る人が全員フェミニストで、仮にパレードの場では一つも女性差別的言動が無かったとしても、パレードは女性差別のある場所です。それは、その場にいる人1人1人の主観や努力の問題ではなく、社会全体の仕組みの問題です。個人が最大の努力で女性差別に反対していたとしてさえも、女性差別と無縁に生きれる訳ではないんです。


 パレードの中で女性を差別する分かりやすい暴言がなければ、セクシズムがない、と言えるのでしょうか?パレードの中で、痴漢や盗撮などの性的な暴力がなければいい?女性らしさが強制されたり、女性だからとちやほやされたり、逆に意見が無視されたり、いつもいつも「彼女」「女の子」と呼ばれたりしなければ問題が無いのでしょうか?


 セクシズムとは、私たちが毎日生きる日常生活の、いつものあり方のことです。それは例えば、何か特別な悪意がなくても結局は男性がたくさん発言したり、男性がいつも代表者になってしまう文化のことです。なぜか女性だけが脇毛を剃ったり化粧するのが「あたりまえ」と思われている毎日のことです。女性の平均賃金が男性の約半額(短時間労働者を含む)もしくは約7割(正社員だけで比較)という毎日の状態です。まんこの造形物を作ると「わいせつだ」と逮捕されてしまう社会のことです。男性特権の存在が社会的な常識になっておらず、女性差別に反対することが人々の当然の責務になっていない社会のことです。




 仮に「反日」と掲げてさえも、そのことによって外国人を差別する日本の文化や法制度/日本の植民地主義から逃れられる訳ではないのと同様、仮に「ぜに×」のビラを配ったところで、企画名に「ぜ」を使わなかったくらいで、女性差別のない状態を作れるわけではありません。


 私たちがもし「本当に差別をやめよう」と思うのなら、ただ単に目の前にいる人に失礼なことをしなければいいのではなく、私たちを取りまく社会関係の不公平を解消するために、各自で行動する必要があります。本当に日本の排外主義に反対しようと思ったら、ただ単に仲パレに参加したり「ぜ」批判をするだけではなく、カウンターをすること/朝鮮学校の無償化排除や北朝鮮への経済制裁に反対すること/生活保護法を始めとする国籍要件を撤廃する法改正をすること…など、きりのない取り組みが必要ですが、女性差別に反対するためにも、同じくらい広範囲な取り組みが不可欠なのです。




※ちなみに、このテキストの最大の弱点は、「仲良くしようぜ」と掲げないこと/「ぜ」を使わない方が、排外主義に反対するという目的効果基準からみて一層有効である、という説明を出来ていないことかもしれません。短い文章では全ては書けませんので、今日この点ははご容赦ください。(でも、私には手に余る気もします)

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