ばらいろのウェブログ(その3)

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ガザのたさくんの物語

2002年に私も個人として参加した国際連帯運動(ISM)のサイトの紹介です。
ガザの写真集です。

■拡散歓迎■


京都の岡真理です。


ISM(国際連帯運動)のHPから、サラ・アル=ゲルバーウィーのフォト・エッセイ「ガザのたくさんの物語」をご紹介します。


サラは、1991年生まれの23歳。ガザのイスラーム大学出身です。
イスラーム大学は6年前のキャストレッド作戦でも爆撃され破壊され、今回も、爆撃に遭いました。テロリストの兵器開発センターだという理由で。
サラは、そのとおりだ、と言います「もっとも危険なテロリズムがここで行われていた――知を築くというテロが!」と。


原文のサイトには、たくさんの写真が掲載されています。破壊される前の美しいイスラーム大学の写真もあります。ぜひ、それらの写真を見ながら、お読みください。

ガザのたさくんの物語

http://palsolidarity.org/2014/08/more-stories-from-gaza/


サラ・ゲルバーウィー
ISM / 2014年8月9日


亡くなった者たちについて書こうとすると、どこから書き始めたらいいのか、途方に暮れてしまう。死者の数は今、1898人に達している。うち子どもが433人、女性が243人、85人が老人。負傷者は、9837人。


彼らは、何千もの物語を遺して逝った、癒しがたい痛みとともに。



ぼくは、イブラーヒーム・イスマーイル・アル=グール。左の写真がぼく。ぼくには、双子の弟がいた。
ぼくたちはいっしょに生きてきた、ママのお腹のなかで9か月、それから外に出て10日間だけ。
ぼくたちはずっと一緒に生きていくのだと思ってた。一緒に遊んで、一緒に幼稚園に行って、それから一緒に学校に行って、大学に行って、友だちも一緒。ぼくたちは永遠に親友だと思ってた。
ぼくの双子の弟は、殺されてしまった。もうちょっと成長して、外の世界の生活を見ることもなく。
ぼくは、ぼくの分身、ムハンマドを亡くした。


ぼくが亡くしたのは双子の弟だけじゃない。ぼくはママも亡くした。パパも、お兄ちゃんのワーエルも。ぼくにはもう、ママともパパとも、お兄ちゃんとも知り合うチャンスがないんだと思うと、ぼくはとっても悲しい。それから、ぼくの2人のすてきなお姉ちゃんたち、ハナディとアスマーも。二人も殺されてしまった。

ぼくのお兄ちゃんやお姉ちゃんたちは、アイスクリームの冷凍庫の中にいる。右側の写真がそれ。病院はいっぱいで、もうそれ以上、死んだ人たちのための場所がなかったから。
それ以上の痛みの場所も。


8月3日、日曜、アル=グール家は10人の家族を失った。イブラーヒームの家族と、イブラーヒームの叔父の5人の家族だ。




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ぼくはラーミー・ラヤーン。ぼくには、ぼくのことをこの地上の誰よりも愛してくれる母と父がいた。ぼくは1人息子だった。両親はぼくに何でも与えてくれた。ぼくは彼らの人生そのものだった。


ぼくには愛する妻と4人の子どももいた。ぼくが殺されたとき、いちばん上の子はまだ8歳だった。ぼくは仕事中に殺された。銃を持っていたわけじゃない。ぼくが手にしていたのはカメラだ。


彼らはぼくの人生を盗んだだけじゃない。家族全員の人生を盗んだのだ。ぼくが死んだのは一度きりだけれど、可哀そうな僕の家族は、毎日、いったい幾度、死ぬのだろう、ぼくなしで生きなければならない今となっては。彼らは決して忘れないだろう。決して許さないだろう。




ぼくはモーメン・クライケ。パレスチナ人のフォトジャーナリスト。27歳。
2008年、ぼくは仕事中、イスラエルの空襲を受け、両脚を失った。
2014年、同じ敵によって、自宅を失った。
ほかに何を失うかなんて、誰も予想できない。


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私たちのみなが同じ痛みを分かち持っている。私たちのみなが知っている、感じている、喪失とは何を意味するのかを。私たちの誰ひとり想像することはできない、私たちの残りの人生が――もし、これを人生と呼ぶのが正しいとして――この瞬間ののち、いったいどのようなものになるのか。


私たちは瞳を失った。私たちの無垢な、可哀そうな、純粋な赤ちゃんたちが殺された、何の罪もないのに。この子たちだって人生を愛していただろうに、でも、生きる機会を与えられなかった。でも、それは、――生きることは――この子たちのささやかな権利だった!




Had a House3


Mideast Israel Palestinians  AP

ここに、私たちの家があった。
私たちには生活があり、思い出があり、喜びがあり悲しみがあった……そのすべてが瓦礫の下に完全に埋められてしまった。何もかもが一瞬でなくなってしまった。
家を建てるには、時間が必要、健康も、お金も必要。小さなディテールが生まれて、それが積み重なって、一つ一つのピースが「生」の鼓動を打つまでになるには、たいそう長い時間が必要。


たくさんの物語が、今、この場の限界を超え、意味を失ってしまった。たくさんの感情が、もう二度と感じられない。たくさんの匂いが失われてしまった。
残されたのは、ただ、破壊と、喪失の悲しみと、果てしない死の匂いだけ。


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これが私の大学。
私はここで、自分の未来を築いた。人生でもっとも輝いていたときだった。世界への扉だった。この建物で、私は友人たちと、卒業式でたくさんの写真を撮った。友人たちを愛するのと同じくらい、この大学を愛していた。


私の大学は美しかった。そう思うでしょう? テロが行われるように場所に見える? 私の答えはイエス。もっとも危険なテロリズムがここで行われていた――知を築くというテロが!ここで、私たちは占領に対して、教育と知識でいかに対抗するかを、そして、世界に、私たちが何者であるのかをいかに知らしめるかを学んだのだから。私のことばこそが私の武器!


[翻訳:岡 真理]
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以上