パレスチナ/イスラエルとLGBT「ピンクウォッシング」ってなに?「BDS運動」って何?
「パレスチナ/イスラエルとLGBT/クィア」とか、ピンクウォッシングってなに?とかについて考えるための情報を簡単にまとめたページ。
関西クィア映画祭実行委員会での内部資料として書いたものですが、興味がある方のためにこちらでも公開します。
ひびのとパレスチナ
わたしも、2002年にパレスチナに行きました。非暴力直接行動をうたう「国際連帯運動(International Solidarity Movement/ISM)に参加し、イスラエル軍の侵攻下のバラタ難民キャンプに行き、イスラエル軍に逮捕されました。またイスラエル滞在中にテルアビブで開催されたプライドパレードにも参加しました。
私も、実際に現地に行って現場を見るまでは、イスラエルだけが一方的に悪いように言うのは、紛争の一方に荷担するようで躊躇がありました。しかし実際に起きていることを見てみると、これは確かに「イスラエルがパレスチナを侵略し占領していること」こそが問題の根源であること、そしてパレスチナ人は自分たちの権利を守るために(武装闘争を含む)正当なたたかいを続けてきた事を、明確に理解しました。それ以降私は、「どっちもどっち」とか、「イスラエルとパレスチナとの相互理解や歩み寄りが必要」とかの言説を拒否し、加害者としてのイスラエル政府に対して、加害行為を止めることを求める立場に立つことにしています。
▼現にここにある矛盾を顕在化させ イスラエルを自分の位置から批判するために
▼たとえそこがどこであっても
(「バイセクシュアル」の主張と、パレスチナの国際連帯運動(ISM)の非暴力直接行動への参加、イスラエルで「No Pride in the Occupation」と掲げる反占領の立場のQueerグループのこと、セクシュアリティーの話と反戦運動について、総合的にまとめて書いた文章です)
▼(ひびのによる)パレスチナ特集
「BDS運動」とはなにか
イスラエル政府は、パレスチナを不当かつ違法に侵略し占領して、パレスチナ人の権利を侵害しています。これをやめさせるために、パレスチナの市民社会から2005年に呼びかけられたのが、BDS運動です。「イスラエルのアパルトヘイト」を止めさせるためのこの運動は、最近では世界的な広がりを見せています。
※BDS:Boycott, Divestment and Sanctions(ボイコット、資本の引き揚げ、そして制裁措置)
▼国際法および人権という普遍原理の遵守までイスラエルに対するボイコットと資本の引き揚げ、制裁措置を行うよう求めるパレスチナの市民社会からの呼びかけ(日本語)
【具体的取り組み】
▼ハリウッド女優も巻き込んだイスラエル占領反対運動(日本語・以下同じ)
▼STOP無印良品キャンペーン(このキャンペーンは成功)
▼ヨドバシカメラ前で43日間の抗議-日本企業も人事ではない「パレスチナ占領加担」リスク
▼ストップ!ソーダストリーム・キャンペーン(日本)
▼(京都)殺人ロボットを開発するテクニオン・イスラエル工科大学の研究拠点設置に反対!
▼(京都)イスラエル工科大進出…アジア初
【概要】
▼対イスラエルBDSキャンペーンの課題
▼世界各国で広がるイスラエル船舶の荷役拒否と BDS 運動(1)/ガザ自由船団ニュース
▼参考資料「ガザと映画祭とパレードと」ver.2(PDF・約500KB)
勉強になる資料です。ちゃんと考えたい人にお勧め。
○この運動は、南アフリカ共和国におけるアパルトヘイト政策を止めさせるために世界規模で取り組まれた、国際的なボイコット運動の成功を背景にしています。
▼イスラエルに対するボイコットと資本の引き揚げ、そして制裁措置を求めるキャンペーンの成功のために── 南アフリカの経験
「ピンクウォッシング」に反対する取り組み
「ピンクウォッシング」というのは、「イスラエルがLGBTの権利を擁護している、LGBTフレンドリーである」という宣伝を積極的にすることを通して、イスラエルがまるで人権を尊重している国であるかのようなイメージを創り出し、そのイスラエルが同時にパレスチナを不当に攻撃し占領し多数のパレスチナ人を殺している、という都合の悪い事実を洗い流して忘れさせる、という宣伝工作のことです。(「ピンク=セクマイ色」)
おそらく多くのセクマイ当事者にはそんな意図もないし考えたことがない人の方が多いと思いますが、セクマイ課題の社会運動の現場は、イスラエル政府による世界的な広報宣伝活動の重要な舞台の一つになっています。私自身正直ビックリしていますが、日本のイスラエル大使館も実は積極的に動いていて、関西クィア映画祭宛にさえ、大使館側からの連絡もあるくらいです。という事情があり、セクマイ界隈でのイスラエル政府のやっていることについては「ピンクウォッシング」という言葉まで作られて、世界中で抗議行動がなされています。
▼バンクーバー・クィア映画祭が「ピンクウォッシング広告」を掲載したため、Sins Invalidは、自身の映画『罪なき罪ークィアと身体障害』を映画祭から引きあげる
▼東京レインボープライドへの質問:イスラエル大使館のブース出展と出展基準について
▼《イベント》マサキチトセ×Janis対談イベント「わたしたちのピンクウォシング」
▼「フツーのLGBTをクィアする」経緯 (2015年4月まで)
▼翻訳:G. ヒレル「パレスチナのクィアがうんざりしている質問8つ」 (2013)
関西クィア映画祭とイスラエル問題
これまでの経緯
▼『0メートルの隔たり』(2005年の作品/89分)
2007年の映画祭では、映画の上映と、ひびのによるレクチャーを行いました。
映画は、イスラエル「建国」時にイスラエルに行った祖父母を持つ、カナダ在住のユダヤ人の監督が、当時の映像もちりばめながら、現在のイスラエルに住むパレスチナ系のゲイとレズビアンのカップルを記録したドキュメンタリーです。
▼ナクバから60年:イスラエルによる占領にも、ホモフォビアにも、反対するために(2008年開催)
※映画『0メートルの隔たり』の上映と、ヨルダン人留学生のお話、そしてひびのによるお話。「ナクバから60年」とタイトルすることは「日帝支配からの解放60年」と書くのと同じで、その言葉だけで立ち位置が鮮明に分かる用語です(ナクバ=大惨事。1948年5月14日のイスラエル「建国」のことを指すパレスチナ人の言葉)。
▼2009年1月の映画祭会期中にあったガザ空爆に抗議するために、関西クィア映画祭の会場にひびのが掲示した『No Pride In The Occupation』のポスターに対して、で寄せられた意見と回答
▼「パレスチナではレズビアンが殺されている」にどう答えるか(2009年に開催)
▼2012年、KQFF開催直前に、米国総領事館広報部による後援決定の連絡を領事館から電話で受けた直後に、イスラエル大使館文化部から映画祭携帯に電話があった(こちらからイスラエル大使館に連絡したことはそれまで一度もなかった)。
▼『いてはいけない人』(2012年の作品/68分)
2013年の映画祭で、映画の上映と、ひびのによるレクチャーを行いました。イスラエル大使館広報部の方から上映後のレクチャーしに無料で行くよと提案があったが、いくつかのやり取りの後おことわりして、結局ひびののレクチャーだけになった。
映画自体は、「パレスチナのクィアがうんざりしている質問8つ」では、ピンクウォッシング映画の例として明示的に挙げられている作品です
関連映画
▼『Garden/ガーデン』
山形国際ドキュメンタリー映画祭で上映。京都★ヘンナニジイロ祭でも上映。
▼『Citizen Nawi』(2007年の映画)
『0メートルの隔たり』にも登場するNawiさんのドキュメンタリー。試写も済ませ、上映を決定し、監督とやり取りする段階で返事が途絶えて上映できなかった作品。
https://youtu.be/7hpGYtm9kd0
http://www.imdb.com/title/tt1092055/
http://ticketing.frameline.org/festival/film/detail.aspx?id=1459&fid=42
http://ticketing.frameline.org/shop/item.aspx?catid=12&id=333
▼『City of Borders/分断の街で』2009年東京国際L&G映画祭で上映
KQFFでも試写したが、同年は『Citizen Nawi』を選択したため上映しなかった。私は、分かりやすい構図として描かれていたのが物足りなくて『Citizen Nawi』を推した(が、結局上映できなかった)。『0メートルの隔たり』に出てくるビアンカップルが、これにも出ている。
▼『アウト・イン・ザ・ダーク』(2012年の映画)
東京国際レズビアン&ゲイ映画祭で2013年に上映。同年は関西クィア映画祭ではこの『アウト・イン・ザ・ダーク』も試写した上で『いてはいけない人』の上映を選択した。両作品ともピンクウォッシング映画として「パレスチナのクィアがうんざりしている質問8つ」では明示的に例示されている。
パレスチナ人達の声を伝える短編映像
(情報提供Mさん、ありがとう)
▼An Interview with A Queer Palestinian (The Inner Circle)
クィアなパレスチナ人としての経験(イスラエルとの接点)やイスラム教との関係性について語っています。
▼Haneen Maikey: Proud, Palestinian, Queer
al-QawsのディレクターHaneen Maikeyがトロントに来た際に、クィアパレスチナ人としてしたスピーチ。
▼5 PQBDS PSA “This is Violence Against Women"
イスラエルの軍事的占領は女性への暴力である、というPalestinian Queers for BDSが作ったビデオ。
▼Ghannai3anTa3rif(singing sexuality)のシリーズ
https://www.youtube.com/watch?v=ELFTkCrJkpM&list=PLlnBYKx54Vg5wouwCPaRj3BA7ykc1BHaR
詳細については記事:https://electronicintifada.net/content/sexuality-and-gender-taboos-challenged-haifa-project/12486やhttps://electronicintifada.net/content/though-small-palestines-queer-movement-has-big-vision/12607参照
アラビア語です。
al-Qawsが始めた、パレスチナのアーティストや人をフューチャーして、ジェンダーやセクシャリティの多様性を訴えるビデオ。
▼Trans/National (Janani Balasubramanian)
アメリカのトランス/クィア/有色アクティビスト。パレスチナにも何度か足を運んで、ピンクウォッシングについてなど取り組んでいる。
パレスチナやイスラエルに特別言及してるわけじゃないけど、男ホルがイスラエル製で打つたびに自分の血管に植民地主義が流れるって言っている。
▼Liberation in Palestine, A Queer Issue - Haneen Maikey
ロンドンで開催された学会での報告、なのかな。
BDSの判断基準
上記全てを踏まえて改めてBDSの判断基準を読んでみるとき、いくつか留意すべき大事な点があることを改めて気が付きます。
▼イスラエルに対する国際的なカルチュラル・ボイコットのPACBIによるガイドライン(2014年7月版)[仮訳]
▼PACBI Guidelines for the International Cultural Boycott of Israel (Revised July 2014)
○BDS運動は、個人をその (市民権や人種、性別、宗教といった) アイデンティティーやその人の意見によってボイコットすることを道徳的見地から受け入れない。//よって、単にイスラエル人の文化的な活動に携わる者がイスラエルの文化的機関に所属しているという点のみでは、当ボイコットの対象となる理由にはならない。// しかしながら、もしある個人がイスラエル国家やイスラエルと共犯関係にある機関を代表する場合、あるいはイスラエルの「イメージ刷新」戦略に関与するための任務を請け負っていたり、そうした活動の勧誘を受けたりしている場合には、その個人もBDS運動が呼びかけるこの制度的ボイコットの対象となる。
○(a)こうしたイベントやプロジェクトの多くは、不確かで、グレイゾーンにあり、評価をするのが難しい。(b) 重要なことは、ボイコットは共犯的な機関に対するものに限らず、そうした機関に備わっている有機的なつながりに対してのものでもある。そうしたつながりというのは植民地主義的な統治とアパルトヘイトを再生産するものである。(c)戦略的には、すべてのボイコット可能なプロジェクトが、積極的なボイコットのキャンペーンの対象とならなければならないわけではない。アクティビストたちは、彼女ら/彼らのエネルギーをその都度最も優先すべきキャンペーンに注ぐ必要がある。
○イスラエルの文化的な作品は(公的なイベントと反対で)、公的なイスラエルの団体によって資金援助を受けており、それ以外他の政治的な縛りがなければ、それ自体としてボイコットの対象にはならない。ここでの「政治的な縛り」とは、イスラエル政府の、あるいは共犯関係にある組織のイメージ刷新やプロパガンダの試みに、直接的あるいは間接的に供することが、資金の受け取り手に課されているという条件がある場合を特に指している。イスラエルの文化的な作品は、その文化的活動従事者が納税している市民としての権利の一部として公的な資金を受け取り制作した場合、政府の政治的なまたプロパガンダ的な利益に供することが縛りになっていないのなら、ボイコット対象ではない。
ひびの的に解釈するなら、それがイスラエル人によるものかどうかが問題なのではなく、パレスチナ解放という目的に寄与するかどうか、という判断基準で、判断すべき。その際「沈黙」による同意効果を共犯とみなす厳しさや、制度の持つ暗黙の強制力、意図しているかどうかに関わりなく結果として生じる影響への行為者表現者の責任、といった事にも厳しく留意すべき、という感じでしょうか。