ばらいろのウェブログ(その3)

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「沖縄差別を解消するために 沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動」が集会を開催(7/12・大阪)


【紹介・7/12(日)大阪市大正区】「辺野古で良いのか?〜もう一つの解決策〜」
「沖縄差別を解消するために 沖縄の米軍基地を大阪に引き取る行動」が主催。意見を異にするところもありますが、参加しようと思います。誰か一緒に行きませんか?
http://okinawabunko.com/information/718.htm

私は、京丹後の米軍基地にも反対です。米国領事が来賓挨拶に来た関西レインボーパレードでは「沖縄にも、京丹後にも、どこにも、米軍基地いらない」と描いた幟を揚げました。つまり、私自身が「京都に米軍基地を引き取ろう」と呼びかけることはありません。
http://d.hatena.ne.jp/hippie/20141014/p1


私にとって「沖縄の米軍基地を大阪に引き取ろう」を聞いた時の、非常に落ち着かない感覚。これが大事と思います。「すべての基地をなくす」考えを「正しさの暴力」だと表現するのは間違いだと思うし、私自身はそういう主張はしません。でも「引き取ろう」と主張したい人がいるのは理解できます。


辺野古がダメならどこに移設するんだ、移設先がないなら基地は固定化だ、みたいな日本政府の方針それ自体を、少なくとも短期的スパンでは変えることができないーもし仮にその条件下で「ではどうするのか」を考えるのなら、「大阪への移設」ー出てきてもおかしくない選択肢。


そして。沖縄に基地を押しつけているのは誰か?ー実際「沖縄差別を解消するために 沖縄の米軍基地を大阪に引き取ろう!」と書かれたバナーを持って街頭でビラを配ったら、人々に極めて明確にメッセージが伝わるような気がします。基地問題が、いきなり『他人事』から『自分事』になる感じ。


沖縄に基地を押しつけているのは日本人だ、という事実を日本人の多数派に分からせるためには、ホントに、こうでも言わない限り無理なのではないか。もしかすると、残念ながら、そうなのかもしれない。くやしい。


現実的に、沖縄現地のいまの闘いと、沖縄の声がヤマトにも少しずつ広がりつつある現状から、辺野古新基地建設を阻止出来るかもしれない。でも本当に辺野古新基地を阻止できても、普天間基地は、オスプレイは、まだ、そこにある。辺野古の基地を阻止しても、沖縄への差別がなくなるわけではない。


だから、実は「辺野古の新基地建設、反対」だけを掲げることは、沖縄差別の延命に過ぎず、単なる偽善でしかない。そもそも「普天間基地の返還を」ではなく「辺野古の新基地反対」と言わざるをえない事が、力関係で負けている。


もちろん問題は日本政府の方針それ自体の方にある。いま辺野古に基地を作ろうとする日本政府の方針は、琉球王朝をつぶして琉球処分をし、沖縄戦で『捨て石』にして多くの県民を殺した政策と同じものだ。独立時に米国に沖縄を貢ぎ、復帰時も「核抜き本土並み」は無視された。今度は辺野古が貢ぎ物だ。


沖縄はヤマトのための捨て石ーそれこそが、歴史的にはずっと、日本政府の方針だった。だから、私は、その日本政府の歴史的に一貫した政策にこそ、反対していきたい。もし私が「京都に基地を引き取る」と言わないのであれば、それが私の引き受ける責任だと、改めて思わされた。


【参考記事】

▼ただひとつの手段は米国に直訴し続けること(植村秀樹)
http://politas.jp/features/7/article/402

> 空軍嘉手納基地は同盟にとって死活的に重要だが、海兵隊基地の重要性について納得できる説明を聞いたことがない。政治的なコストは非常に高いにもかかわらずだ。(マイケル・アマコスト元駐日米国大使(在任1989‐1993年))

辺野古移設問題の「源流」はどこにあるのかーー大田昌秀沖縄県知事インタビュー
http://politas.jp/features/7/article/400
※沖縄差別の歴史が分かりやすくまとめられています。

▼「本土」の私たちは「県外移設」を受け入れるべきだ(高橋哲哉
http://politas.jp/features/7/article/399
> 日本の反戦平和運動は、「安保廃棄」を目ざすなら、県外移設を受け入れた上で、「本土」で自分たちの責任でそれを追求するのが筋だろう。
> 辺野古移設阻止の現場闘争をリードしてきた山城博治氏は、大田昌秀知事が安保の「応分の負担」を「本土」に求めて以来、沖縄は「一貫して」「県外移設」を訴えてきたと書いている(同氏「沖縄・再び戦場の島にさせないために」『琉球共和社会憲法の潜勢力 群島・アジア・越境の思想』未来社、201頁)。「本土」の私たちが問われているのは、この声に向き合うことができるかどうかである。

▼「慣らされていく感覚が怖い」 沖縄で基地とともに暮らすということ(
吉野太一郎)
http://www.huffingtonpost.jp/2015/07/06/living-in-futenma_n_7734804.html