ばらいろのウェブログ(その3)

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「n個の性」は現実には発見されていない??


 上野千鶴子さんの文章「ホモソーシャル・ホモフォビア・ミソジニー」ですが…

「男の性がまずしい」と言うとき、わたしたちは、男が性的主体になるなり方そのものが、逸脱と多様性を排除した定型的なものであることにまで、さかのぼって考察しなければならない。


 これとかは、「そう、そう、その通り」と、(別に上野さんに言われるまでもなく)そう思います。が…


論理的には考えられるが現実には発見されていない「n 個の性(4)」は、以上の例からも反証される。(注4の部分)


 「n個の性」みたいな考え方については、デメリットとしては、現実に存在している女性差別/男性中心主義が不可視化される危惧があること、があると思います*1。そういう観点から、この手の考え方に危惧を表明する/不十分点を指摘するのなら、分かる。
 でも、「反証される」って、よっぽど「男女」以外の性別が存在することが嫌いなのかしら、上野さん。
 「n個の性」みたいな考え方の最大のメリット(功績)は、「男女という制度」「男女枠/性別二元制」の枠内でものを考えることとは違う可能性を示したことでは。実際に今の日本でも、「男女枠/性別二元制」に乗らないジェンダーを模索したり、既存のものとは異なるジェンダーを創ろうと試みている人はいっぱいいるのに。「現実には発見されていない」って、なに、性は先天的に決まっている、とでも言いたいのかしら。ジェンダーって、私にとっては、創るものなんですけど。そもそも「発見されていない」という認識自体が、上野さんが「性別二元制」というフィルターを通してしか性を見ていない/見る意志がないことを白状していない?
 結論として、「上野さんは、実は『性別二元制』が大好き」「上野さんは『性別二元制』の内部のことにしか興味がない」「『性別二元制』の内部における改良運動(女性差別反対)には関心があるが、『性別二元制』そのものを問題化する意志はない」ということが分かる/再確認できるのが、この文章の成果ではないかと。

*1:だからこそ、それを見て見ぬふりをしたい一部のゲイ男性にこの発想が受けたのかも(笑)