ばらいろのウェブログ(その3)

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今日は憲法記念日。憲法を改正しよう!

なんと10年前に書いたテキストですが、改めて掲載します。
憲法の24条の改定を検討する動きが当時自民党にあり、それに反対する運動もあって、24条を中心に書いています。が、憲法一般に対しての見方立ち方についての意見でもあります。
では、以下お読み下さい。

憲法を改正しよう!


第24条は、「結婚した男女二人」を中心とする典型的・古典的な家族のあり方だけをことさら奨励する抑圧的な条文です!
今イメージする「家族」という枠組みに収まるつもりのない人が、のびのびと安心して生活できる社会を創ろう!


 自民党憲法改正プロジェクトチームが日本国憲法24条の「両性の平等」規定を見直すよう提案しています。このことに絡んで、日本の一定のフェミ業界では大きな危機感が抱かれ、「憲法の男女平等を守れ」と強く主張している人がいます。


 わたしは、「憲法を守れ」式の運動にもう飽き飽きしています。「自分たち」以外の誰かが「自分たち」の既得権を攻撃してくる、という図式の運動には、わたしは全く関心を失っています。
 わたしは改憲論者です。現行日本国憲法は、第九条を含め、アジアへの侵略戦争の歴史から目をそらして国体=天皇制を維持するために作り出された不十分なものです。少なくとも、憲法の前文には、朝鮮併合とアジア各国への侵略の歴史を具体的に記述して、そしてアジア侵略の責任者であった天皇を処罰した上で天皇制を廃止し、侵略戦争の加害責任を果たすべきでした。第一章の天皇制の規定は全て削除して、君主制国家としての日本のあり方を共和制国家に変えるべきです。第九条も「国際紛争を解決する手段としては」「前項の目的を達するため」を削除して、自衛のために国家が軍隊を保持することを明確に禁じるべきです。もちろん自衛隊は即時解体、日米安保条約は破棄して米軍基地を全てなくすべきです。「第10条 日本国民たる要件は、法律でこれを定める」との規定は改め、日本国籍を持たない旧植民地出身者とその子孫も日本国籍所有者と全く同等の(国政選挙の被選挙権を含む)政治的社会的な権利を持つようにするべきです。居住の事実のみに立脚して権利と義務を構成する、市民権型の制度を採用することを憲法上で明記するべきです。


 そしてもちろん、性別には「男・女」の二つしかない(両性の平等)ことを前提にし、しかも婚姻をその男女間のみに認めることを明記している第24条も、性別二元論に基づいているものであるので、改訂するべきです。「結婚した男女二人とその子どもで構成する家族」を社会の基本に据えるという事自体がそもそも間違っているんであって、その間違い自体を残した上で「家族の中の男女平等」だけを主張されるとまるでお笑い番組を見ているような気になります。「大人になれば結婚する」ことを自明視する社会自体を変えるべきだし、結婚しないで暮らしている人が何の不自由なく生きることのできる社会をつくるべきです。「結婚した男女二人とその子どもで構成する家族」とは異なる形の「家族」や、そもそも「家族」という括りとは異なった「人々の支え合いのシステム」をつくるべく取り組むべきではないでしょうか。現憲法第24条は、決して守るべきものではなく、むしろ逆にその改正を主張していくことこそが「私たち」の仕事なのではないでしょうか。
(実態はよく知りませんが、例えば1996年に制定された南アフリカ共和国憲法では性的指向による差別を禁じるだけでなく、「marital status(婚姻の状態/配偶者の有無など)」を根拠とした差別をも明文で禁じています。 右ページ資料参照l )


 日本の左翼や社会運動は、長年、「憲法を守れ」式の既得権防衛的な内向きな発想に閉じこめられてきた、とわたしは感じています。「私たち」の生活の中の実感をもとに「よりよい」社会のあり方を考え、新しいあり方を社会の構成員に対して提案していく。多数派を説得するために出向いていく。自信を持った少数派として社会の多数派に対して立証責任を進んで負っていく。自己を少数派であると自覚した上で、多数派を説得するために策を練る。そういった外向きの行動スタイルが、「護憲」という発想には感じられないのです。一部の悪い人が「多数派の利益」を害する攻撃をしている、だから「私たちの利益」を守ろう、憲法を悪い人から守ろうーーこんな、既得権防衛的な運動に時々わたしは違和感を感じます。


 「現在の私たちの生活」は、守るべきものなのではなく、変わるべきもの、変えるべきものです。「現在の私たちの生活」を守るべきものだと感じるとすれば、それはその人が今の時点で特権を持っているということです。「憲法24条への攻撃は男女平等への攻撃だ」などという言説は、憲法24条はまるで守るべきものであるかのような認識を普及させます。「男女という制度」そのものに対する取り組みや、性別二元論を解体していくような取り組みをする必要はないと言っていることと結果として同じ効果を持ってしまいます。自民党憲法第24条の改正を主張していることを口実に、「憲法を守れ」と主張する人は、第24条が自民党の言うように改正されなければ、今のままでいいとでも思っているのでしょうか。現状のままならいいのでしょうか。自分では、第24条をもっとよりよいものに変えるための運動をする気はないのでしょうか。


(このあたり、「男女という制度」それ自体を解体していく動きの契機を持っていた「ジェンダーフリー運動」が、それへの攻撃を右派から受ける中で、「男女の違い自体をなくしたいわけではない」と「言い訳」をせざるを得ない状況に追い込まれているのと似てはいます。でも、「憲法24条を守ろう」は、「言い訳」を越えてしまい、「男女という制度」を積極的に維持・再生産する機能をも持っているので、わたしには違和感は大きいです)


 もしそれでも「男女平等のために24条を守ろう」を言いたいあなた。もしあなたが第14条の平等規定では不十分だと考えるのなら、例えば明文で「女性差別をなくすことは政府の責務である」と明文化するような改憲を提案してはどうですか?一時代まえの「家族」を前提とした24条に絡めて男女平等を主張するというせこいことはやめて、正面から正々堂々と闘い続けようよ。例えば南アフリカ共和国憲法では、第1章第1条で「 人種差別主義と性差別主義(女性差別)に反対すること」を国家の基本的な価値として明記しています。


 自民党改憲試案に対する一部フェミ業界の反発に対して、わたしがなぜぴんと来ていないのか(と言うよりなぜ違和感があるか)についての説明でした。実際には、女性差別に反対しジェンダーフリーを進めてきた人たちこそが、「男女という制度」を総体として相対化しようとしていた先駆者であるし、また真っ先にクイア系の運動を支援してきたという面もあります。ですので、ことさら敵対したいわけではありませんが、せっかくなのでざっと思っていることを書いてみました。このあたり議論になるところかと思いますので、是非どこかでお話ししましょう。サイトでのコメント歓迎です。
 このテキストは、ひびのが2004年に「国際バイセクシュアリティ会議」に参加するにあたって、米国で講演ツアーを行ったことの報告として書かれたものを、一部改訂したものです。元は以下にあります。
【米国便り17】自民党の改憲試案

資料


日本国憲法
第14条  すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
第24条 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。


自民党憲法改正プロジェクトチームの論点整理(案 )」(2004/6/10)
各論>四 国民の権利及び義務>4 見直すべき規定
婚姻・家族における両性平等の規定(現憲法24条)は、家族や共同体の価値を重視する観点から見直すべきである。
 http://www.kenpoukaigi.gr.jp/seitoutou/20040610jiminkaikenPTronten2.htm


●STOP!憲法24条改悪キャンペーン
 http://blog.livedoor.jp/savearticle24/


南アフリカ共和国憲法(1996年5月8日)
第1章 基本的な条項  南アフリカ共和国
1.南アフリカ共和国は、以下のような価値に基づく、民主的な1つの主権国家である。
  (a)人間の尊厳、平等の達成、人間の権利と自由の前進
  (b) 人種差別主義と性差別主義に反対すること (以下略)
第2章 権利の章典  平等
9.(3) 国家機関は、以下の1つ又はそれ以上を理由として、いかなる人に対しても、直接的に又は間接的に、不当に差別してはならない。
人種、ジェンダー(社会的性別)、セックス(生物学的性別)、妊娠、配偶者の有無(結婚の状態)、民族的又は社会的な生まれ、肌の色、性的指向、年齢、障害があること、宗教、良心、信念、文化、言語、家柄。



セックス・恋愛・結婚・家族に関する、解体するべき神話の例

  • 世の中には男と女がいる。男女はそれぞれ別のもので、区別出来る。

(←「男/女」の分割線は社会的・文化的につくられた恣意的なもの。ある人たちが「女性」のラベルを貼られるのは、その人たちを差別することが主たる目的。男/女の厳密な区別は不可能)

  • 人は恋愛やセックスに興味があるし、大人になれば必ず結婚する。

(←性愛強制社会は迷惑。恋愛やセックスはしたい人だけがすればいい。まして結婚なんて、そういう趣味の無い人に押しつけるのは迷惑千万)

  • 相手が男か女かということは、恋愛やセックスに大きく関係ある。

(←そういう人もいるが、恋愛やセックスの対象選択において、相手の性別が重要でない人もいる。それは人による)

  • 年頃になれば、異性のことが気になる。

(←強制異性愛は迷惑。さらに、性愛強制も迷惑。異性を好きになる趣味の人も、セックスに関心の無い人もいる。それらは対等)

  • たった一人の連れあいを見つけて家族を持つことが幸せに繋がる。

(←1対1の対関係/モノガミーを望む人もいるが、そういう生き方を皆が望んでいるのではない。1対1の相互独占的/排他的な対関係ではない恋愛やセックスのあり方、「家族」という枠組みとは異なる形で助け合う人々の支え合いのシステムだってある。「家族」という形態はたくさんの選択肢の中に一つに過ぎず、それを特別扱いするのは間違い)

  • ちなみにひびのは、相互独占的/排他的ではない恋愛やセックスが好きです!

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2004年10月30日発行