トイレはどうあるべきかー「LGBTトイレ」や、「トランスジェンダーのため」「性同一性障害者に配慮して」のトイレではなく【GID学会】

来週末、3/24(土) 25(日)に東京で開催されるGID学会で、以下の報告をします。
報告では、関西クィア映画祭や以前の関パレ、クィア学会などでの事例に加え、いま大学当局による廃寮化攻撃を受けている京大吉田寮の全室個室トイレも紹介します。
GID学会での報告は、2008年以来10年ぶりかな。
私の報告は3/24(土)15:20〜16:20 の枠の「一般演題 1 : トランスジェンダーへの社会的支援」(第2会場/2F Terrace Room)です。
プログラムや日程表もダウンロードできます。
関東方面の方、交流しましょう!

トイレはどうあるべきかー「LGBTトイレ」や、「トランスジェンダーのため」「性同一性障害者に配慮して」のトイレではなく


LGBTトイレ」が意味不明で不適切なアプローチであることは、GID学会に参加している人には自明のことでしょう。
とはいえ、では具体的には、トイレとはどうあるべきでしょうか。


事実として、「男女という制度」はいまの社会に広範にあり、社会制度も建物構造も男女の二元論を前提として作られています。トランスジェンダー性同一性障害の当事者でも、「男女という制度」それ自体を支持したうえで、その制度内での人権や権利を主張する人たちがいます。他方、私のように、そもそも「男女という制度」や性別二元論それ自体を抑圧や人権侵害のカラクリだとみなし、「『男女という制度』を廃止すべきだ」「性別二元論自体をやめよう」と主張する人もいます。


実は私はこの二つのアプローチは当面どちらも必要なものであり、社会に対する運動の両輪であると思っていますが、ともあれ、こういった意見の違いが、ここ数年で解消するとは思えません。しかしその間も、私たちは毎日トイレに行きます。


LGBTのためのトイレ(って誰のためのトイレだ、一体。)」や、「トランスジェンダーのため」「性同一性障害者に配慮して」のトイレのあるべき姿を論じることがそもそも間違いの発端です。まず必要なことは、シスジェンダーに対する特別な配慮をやめること、シスジェンダーの特権をなくすことです。


上に見たとおり、性別についての様々な考え方が現に存在する今の日本社会において、性別という観点からできるだけ多くの人に公平なトイレとはどういうものなのか。イベントや集会や学会を開催するときに、一部の人の都合ばかりを優先させないためにはどうしたらいいのか。古い既存の設備しかないときにはどんな工夫ができるのか。


本来社会運動とは、現場での地道な取り組みの積み重ねです。最近では「派手に目立つこと」「メディアに取り上げられること」こそが「社会運動」であるかのような宣伝(プロパガンダ)が重ねられていますが、そんな権威主義的なものではない具体的な取り組みが、あなたの身の周りにはありませんか。
今回の報告では、具体的にどのような取り組みや代案が可能なのかを、関西でのいくつかの取り組み事例の紹介を通じて、提案します。是非、あなたの地域での具体的な取り組みについても教えてください。お互い知恵を出し合いましょう。