ばらいろのウェブログ(その3)

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壮大な茶番としての衆議院選挙


 「国民の生活が第一民主党)」「国民が主人公(共産党)」こんなスローガンが何の批判を受けることもなく当然のように掲げられている「選挙」というイベントごとは、私には茶番にしか思えない。
 分かり易い例を挙げると、日本で生まれ育ち、現在も日本に暮らし、日本語で生活をしているにも関わらず*1「国民」ではない人は沢山いる。もちろん国民ではないから、選挙権も被選挙権もない。私は、旅行などで短期に日本に滞在しているような人のことを言っているのではない。あの定額給付金ですら、日本国民だけではなく外国人にも受け取る権利があった。(不法滞在者及び短期滞在者のみ対象外)
 歴史的には、日本の植民地だった朝鮮半島などの出身者は建前としては「臣民」であったので、日本国内での選挙での選挙権・被選挙権があり、実際に朝鮮人帝国議会議員も居た。民族名で活動し、当時はハングルでの投票も出来たらしい。しかし日本の敗戦後、選挙権が女性にも拡大されたが、朝鮮人(男性)の選挙権は勝手に剥奪された。
 自分が生まれ育ち、現在も暮らす土地において、最大の権力を持つのが国家権力。それは、個々人の意志に関わらず個人を逮捕し場合によっては殺す(死刑)する実力を持ち、個々人の意志に関わらずお金(税金)を奪っていく。国家権力は、個々人の生活に対して、強制力を伴う影響を与える存在だ。そういった存在だからこそ、その存在を正当化するためには、その影響を受ける者たちによってこそ国家権力がつくられている、という形(治者と被治者の自同性)が必要だ。
 日本に生活の拠点がある人々を、「国民」と「国民ではないもの」とに勝手に分けて、その一方にだけ参政権を認めるという制度。それが、今の日本で行われている選挙。「私たちの生活」「私たちの権利」と、「日本国民の生活」「日本国民の権利」とは、同じではない。その区別を創り出し、特に意図的に国策として旧植民地出身者を差別してきたのが日本政府。日本国籍を持つ日本人にとって、もし選挙を話題にするのであれば、まず最初に議論すべきはこのことではないのか。自分の友人や知人には認められていない権利を自分だけが持っている、という恐ろしく分かり易い特権不公平で差別的な制度(↓追記☆参照)の意味を、まず考えるべきだと思うのです。*2


附記1:外国人登録をしている永住者数は約91万人(2008)


附記2:上の文章では、日本籍朝鮮人のことなど触れてません。多分いっぱい漏れてます。ゴメン。


ブクマコメントを受けての追記☆:「誰しも持つべき人権」であるはずの参政権(選挙権と被選挙権を含む)が、一部の人にしか認められていないので、「当然の権利」ではなく「特権」になってしまっている、という意図で特権という言葉を書きました。が、やはり参政権は「誰しも持つべき人権」なので、「特権」と書くのはあまり良くないですね。書き直しました。ご指摘ありがとうございます

tari-G 誰しも持つべき人権を、持っていない人がいるが故に「特権」としてしまうのは、やはり違うと思うな。てか被選挙権はどうなるのよ…

*1:私に友人知人はいわゆる2世3世以降が多いののもあって、こういう例を出します

*2:ウチナーンチュやアイヌを勝手に日本国民にして、一方的に日本人になることや参政権を押しつけるのはどうか、という議論もあり、一定の説得力もあるけど、それは植民地支配や先住権の問題として考えるべきなのではないか、と思う。琉球アイヌモシリが実質的に日本政府に支配されているという状況下で国政選挙をするとなると、制度的には、少なくとも日本政府の側は、ウチナーンチュやアイヌにも参政権を認めるしかないと思います。その「権利」を行使するかどうかは、本人の側が考えることだけど。