ばらいろのウェブログ(その3)

ひびのまことの公式サイト→ https://barairo.net/

「国民!国民!」って言わないで!


 いま現在も、国会の周りでは秘密保護法案の廃案を求める抗議活動が続けられています。国会の中の議員の数では、自民党が圧倒的多数で、可決しようと思えば何でもすぐ可決できる状況なのに、現在まで可決させないで今日までくることができました。これはひとえに、国会の外で、全国各地で、様々な人達が法案反対の声をあげ続けたおかげです。もし時間と体力がある方は、今も抗議行動が続く国会前に!

 京都では、一昨日昨日と大規模なデモが呼びかけられ、それぞれ平日の夜にも関わらず1000人以上の参加がありました。その昨日のデモの直前にもたれた京都市役所前の集会で、主催者の方にお願いして、少しだけアピールをさせてもらいました。それは「国民という言葉を使わないで!」というお願いでした。昨日は時間も短くて、ひびの的には今ひとつ上手く言えなかったので、昨日言いたかったことを、改めてここに書いてみます。まさに今も続く抗議活動をしてくれている人達にも届きますように!




 初めましての方も多いと思いますが、京都で活動しているひびのといいます。ずっと、ジェンダーセクシュアリティー、性的マイノリティー、今はLGBTという言葉が流行っていますが、性の多様性や性的マイノリティーの権利のための運動をしてきました。少数派も尊重される社会、マイノリティーの権利の運動をしてきました。
 今日は、秘密保護法案にいてもたっても居られなくなり、反対の声をあげたくて、デモに参加することにしました
 実は私から、今日のデモに参加される皆さんに、お願いがあって、発言の時間を頂きました。

 秘密保護法に反対するチラシやシュプレヒコール・発言などにおいて、しばしば「私たち国民の声を無視するな」「国民の声を聞け」「たくさんの国民が反対しているぞ」などと「国民、国民、国民!コクミン!…」と、しばしば「国民」という言葉が使われます。でも、思い出してください。秘密保護法案に反対して集まっているいまこの場にも、日本国民ではない人が居ます。日本国民だけではなく、たくさんの国民ではない市民が、秘密保護法案に反対の声をあげ、デモにも参加しています。

 もしかしてご存じない方も居られるかも知れませんの念のために言うと、日本国籍がない人は国民ではありません。実際に、日本国籍がないこと、つまり国民ではないことを理由として、国民ではない人は日本社会で権利を不当に制限されています。私と同じように日本で生まれ日本で育ち、加えて日本語でモノを考えて日本語で暮らしていたとしてさえ、親が日本国籍を持っていなかったために、選挙権もなく公務員にすらなれない人達が居ます。
 その中でも特に、植民地支配に起源を持つ在日朝鮮人の人権が、まさに今の安倍政権によって、特に狙い撃ちのように攻撃されているのは、朝鮮学校だけを高校無償化から排除していることからも明らかです。
 「国民」っていう言葉は、「やつら」の言葉です。国民と国民ではない人の間に線を引いて、差別や人権侵害をする、そのための言葉が「国民」なんです。

 私たちはずっとこう言ってきました。「この教室にも1人か2人は、性的マイノリティーがいる」「どの職場や学校にも、どの集会やデモにも、カムアウトしていないだけで、性的マイノリティーが居る」。いるのに、居ないことにされるのは、とてもつらいことです。少数派だからと言って、いつもいつも無視されるのはごめんです!
 秘密保護法案の審議の進め方は、あまりに分かりやすいくらい、少数派を無視し蔑ろにするものでした。多数派だったら何をしてもいいのか!という怒りを、私は強く覚えました。
 繰り返しますが、今この場にも、デモや抗議の場にも、国民ではない人が居ます。たくさんの国民ではない人たちが、秘密保護法案に反対の声をあげています。

 私は、「私たち」の中に分断をつくりたくない。私は、「私たち」の一部の人を無視するような運動は嫌です。私は、「私たち」の一部の人に対する無視や攻撃に知らんフリをしたくない。私自身は、たまたま日本国籍を持つ日本人で国民ですが、そういう私こそがこうやって声あげ、国民ではない人を排除するような言い方に反対していかなければいけないと思って、いま発言しています。
 「国民」は、代わりに「人々」「市民」「民衆」などで置き換えられる場合がほとんどです。この程度のことは、今すぐ、私たち1人1人の努力でできることです。
 少数派を無視して強行採決する安倍政権と自民党、国民ではない人達を差別する安倍政権と自民党、そういった「やつら」に正面から反対するためにこそ、ぜひ、一度考えてみてください。少数派が差別されない、少数派が無視されない、そんな社会をみんなで創っていきましょう!
 ありがとうございました。




 実はこのアピールは、発言後、とてもとても大きな拍手で迎えられました。また、デモの前後には何人にも「私もそう思っていた」「よかった」と言われ、また見知らぬデモ参加者にも「私は在日3世ですが、始めの発言、ありがとう」とさえ言われました。実は「国民」に違和感を持っている人は、既に一定数いるんです。
 「『国民』はやめよう」ということは、私自身でもずいぶん前から言い続けています(1999年の例)(松浦大悟参議院議員の例・2010年)。「国民」と書かれている署名とかする時には、いつも時間をとって、「この『国民』という言葉はよくないので改めてくれ」と、何度も何度も話してきました。2013年の今になってさえ、いまだにこのことを言い続けないといけないこの現実こそ、日本社会が日本人中心主義のレイシズム社会、民族差別社会であることの意味です。この状況は、必ず変えないといけません。
 これも昨夜言い続けたことですが、「あなた自身で、あなた自身の言葉で、『国民』に反対して!あなたが自分で言って!」。特に日本人や日本国民のアナタには、何度でもそう言いたいです。発言する人が増えない限り変わらないし、この件については、ある程度の数の人が言い出したら、確実に流れが変わるからです。