ばらいろのウェブログ(その3)

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12月の在特会の朝鮮学校への押し掛け行動は法律的にどうなのか

 本稿は以下の2点を大前提としています。

  1. 京都朝鮮第一初級学校による勧進橋児童公園の使用は、学校と近隣住民・京都市当局の話し合いと合意の中で平穏に行われており、法的にも道義的にも問題はない
  2. 日本政府並びに京都市などの行政当局は、在日朝鮮人の民族教育を弾圧してきたという負の歴史、並びに、本来行政当局が行うべき民族教育への保障・支援を怠ってきたという不作為の負債を負っている

 この二つの前提の是非についての議論は、このエントリーでは行いません。いずれ別の場所を設けます。また、この前提に関わるコメントは削除します。

前回の在特会朝鮮学校への行動は法律的にどうなのか

現行法上では、刑法上の「器物損壊」と「威力業務妨害」には該当しうると思います。


【器物損壊】
スピーカー配線を切断した行為は「器物損壊」に該当。但しこれは親告罪(被害者からの告訴がないと事件にならない)

刑法第261条(器物損壊等)
…他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。


【威力業務妨害
左翼や反政府勢力が、もしくは個人であっても、行政や企業を相手に今回と同じような事をした場合など、逮捕事例は結構ある。警察や体制側が、市民活動や反体制運動、個人による「反社会的」行動を弾圧する時によく使われるのが「威力業務妨害」です。
過去の判例からは、今回の在特会の行動は警察がその気になれば十分逮捕/起訴も可能な事例だと思われる。

刑法第234条(威力業務妨害
威力を用いて人の業務を妨害した者も、前条の例による。
(※三年以下の懲役又は五十万円以下の罰金)

「威力業務妨害」が実際にどのように運用されているか


 最後の事例は、実際に起訴されたというのではなく、「威力業務妨害」で告発があった、という事例です。「威力業務妨害」は、こんな風に使われます。
 つまり、「威力業務妨害」というのは、特定の主義主張に基づいて、相手方の意に反して、抗議行動を公然として行う事自体を「全て」犯罪化しうる概念であり、安易にその適用範囲の拡張を求めるのは危険です。警察に逮捕のフリーパスを与えることになってします。

12月の在特会の行動に「威力業務妨害」を適用すべきか

 12月の朝鮮学校への押し掛け事件では、私は、以下の理由から「威力業務妨害」の適用を求める事自体には反対しません。現在の同罪の適用状況を見ても、犯罪として処理されても問題はないように思えます。(現在の法解釈を拡張しなくても、同罪の適用に問題はない)

  • 【手順の不備】「公園が不法占拠されている」という考え方を在特会が持っていたとしても、そのことについて平和的・紳士的な申し入れ(要求)、もしくは直接の話し合いを穏便に求めるという手順が踏まれていない(よね?)。相手に文句があるのなら、文書で申し入れをしたり回答を求めたりするべき。公開質問状を送って回答を拒否されたとか、話し合いが決裂したとか、そういう事情があるわけでもない。
  • 業務妨害自体が本来の目的】そういう通常踏むべき手順を飛ばしていきなり現場での抗議行動になっているというのは、「公園が不法占拠されている」という事項を「解決」する事自体が目的なのではなく、「公園が不法占拠されている」ということを口実として利用して朝鮮学校への嫌がらせをすること(業務妨害)自体が本来の目的であると考えられるから。
  • 【差別行為】現場での行動と発言の内容が、「公園が不法占拠されている」という「問題」から離れ、在日朝鮮人に対する誹謗と罵倒になっているから。
  • 【学校だから】行動の対象が初級学校であり、一般の施設よりも慎重な対応をすべきだから。学校に抗議行動するのであれば、本当にそれが必要やむを得ない、それ以外の方法がない、というような状況におけるものに限るべき。だって、生徒に罪はないから。

在特会を法律で規制することは出来るか

【前提】

  • 在特会は、その主張が、人種差別を助長し差別を扇動するものである、と、ひびのは考えている。
  • 在特会は、自身の主張は人種差別ではない、と考え主張している。
  • 現在の日本では、人種差別を助長し差別を扇動する事自体は、犯罪ではなく合法。
  • 団体の解散を命じたり団体の監視をする法律としては、以下があるが、いずれも在特会にはあてはまらないし、適用すべきでもない。


【結論】

  • 現在の日本の法律では、在特会の行動を事前に規制することは不可能。
  • 事後に、もしくは現行犯として、その既遂の行動に対して刑法等を適用することは出来る。

憎悪犯罪について

 「威力業務妨害」は、思想信条の内容を問わずその行動の形態(威力)や効果(業務妨害)に注目して犯罪化する概念です。なので、犯罪の範囲が拡張されやすく、危険です。
 そこで、「よりましな権力を作る」「よりましな制度化を図る」という観点から、その行動の思想信条の内容を問題にして、例えば「人種的優越又は憎悪に基づく思想」に注目して、そのような思想の流布や扇動、その思想に基く行為や活動を違法化/犯罪化する、という方法を考える人たちがいます。それが、人種差別撤廃条約などを元にして言われている「憎悪犯罪」を法律で規定し、犯罪化することです。
 ただこれでも、世論の状況によって、「多数派の意向に反する言動」が違法化されるという危険性は拭えません。以下はドイツの事例ですが、「兵士は人殺しだ」という警句を自分の車に貼った反戦活動家が「憎悪犯罪」の一例である「民衆扇動罪」で実際に起訴されたりもしています。
「ドイツの『民衆扇動罪』 『在特会』が跋扈する日本で考える」


 また実際、人種差別撤廃条約では、「人種差別を助長し及び扇動する団体及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を違法であるとして禁止」「このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪」とまで言っており、私はこれはいきすぎた規制ではないかとの懸念が拭えません。私は、暴力団新法に反対ですし(廃止すべき)、オウム真理教に対する破防法の適用にも、そもそも破防法にも反対です。といった観点と同じような観点から、人種差別撤廃条約の規定には、その趣旨や意図には一定の理解をしつつ、一律一般的な違法化/犯罪化という方法論にはどちらかというと反対、だと思う。(最大でも「罰則規定のない違法化を明記」が精一杯な気がする)


【資料】人種差別撤廃条約


まとめ

  • 12月の在特会の行動に対しては、現行法でも「威力業務妨害」「器物損壊」の適用が出来る。
  • 在特会的なもの」に対して法律を使って(犯罪であるとして・国家権力を利用して)対応しようというアプローチには、いっぱい危険性が潜んでいる。
  • 人種差別撤廃条約などを元にして言われている「憎悪犯罪」の法制化については、その趣旨や意図には一定の理解をしつつ、一律一般的な違法化/犯罪化という方法論にはどちらかというと反対

私が言いたいこと

本稿から導かれるというわけではないが、この問題を考えていて一旦たどり着いている私の現在の主張(2010年1月7日)。

  1. 人種主義/人種差別/民族差別や排外主義に反対する取り組みと言説をどれほど積んでいったとしても、植民地支配と戦後補償問題の話を具体的に踏まえない限り、在日朝鮮人の置かれている状況や在日朝鮮人差別の問題にはたどり着かない。
  2. 在特会的なもの」に対して、現在の日本の法律では、事前に何かを規制することは出来ない。法的な規制をするために「憎悪犯罪」などの法制化を進めるのは、規制の範囲が広くなり過ぎ、行政に権限を与えすぎ、本来の意図を離れた乱用によって「治安立法」と化する危険性が大きすぎる。
  3. そもそも、在特会は、「違法でないから」「合法だから」元気に活動できているのではない。日本社会の中に植民地支配への無知・無関心や無責任があり、自分とは異なるものへの排除をやむを得ないとする排外主義的な文化があり、かつそれが日本社会の中の少数派の意向ではなく日本社会の多数派の意向であるからこそ、在特会は活動できてしまっている。
  4. 在特会的なもの」に対しては、「法による規制」ではない方法で出来ることを真面目に模索すべき。その意味で、国家・政府とは独立した市民社会の力量が問われている。朝鮮学校の人たちが、日本の市民社会によって守られていると実感することができ、実際に市民社会から在特会に抗議する声が多数上がり、防衛にも駆けつけ、京都市京都府なども在特会を批判するような状況があれば、「法律による規制」というところまで行かなくて済む。(そういえば、部落差別をした人を犯罪者にしたり、部落差別行為自体を犯罪化する法律は日本にはないけれど、京都市京都府も、企業も、商工会議所も、みんなはっきりと「部落差別に反対」「部落差別を許さない」と言うようになる状況を作れている。目指すは人種差別行為の犯罪化ではなく、こういった取り組みを在日朝鮮人差別に対してもできる状況を作ることではないのか)
  5. 法律のことで言うなら、「人種差別を犯罪であると宣言する」が、法的な罰則はない、位までが、私が受け入れられる最大限。