わたしたちはここにいる!!!自由と生存の連帯メーデーin札幌2010
ちょっと前になりますが、何のご縁か、4月に札幌で開催された「自由と生存の連帯メーデーin札幌2010」のフライヤーと冊子に、メッセージを載せていただきました。
札幌のこのメーデーの実行委員会に参加している友人と話していても、やっぱりここでも、「私たちの内部の意見の違い」をどう処理するか、がいろいろ問題になっているということを知りました。
以下に掲載するのは、冊子に載せてもらった長い版、右の写真のフライヤーには、これを短く短縮したテキストが載っています。
「社会の中での生きづらさや働きづらさを感じる人たち同士が繋がる」「仲間になろう!」――とてもいい台詞なのに、なんか嘘くさい感じがするのは、現実にはそれが簡単ではないという事実を、皆が既に知っているから、かもしれない。
誰でも気軽に参加できるメーデーには、様々な人が集まる可能性がある。ということは、自分とは意見が違う人や、自分が嫌いな人も来るかもしれない、ということだ。例えば「同性愛は気持ち悪い」「女のくせに生意気だ」「在日朝鮮人の話には関わりたくない」などと言う人も来るかもしれない。
そんな時、意見の違う人は(何となく雰囲気で居づらくして)追い出す?それとも、相手との直接の言い争いを避けて「仲良しごっこ」をする?場の雰囲気や友人関係が壊れたり自分が排除されたり場が崩壊する可能性も覚悟して意見を言う?それとも、家に帰る?
「共に生きる」「繋がる」ということは、決して楽しいばかりではない。仲間に会えると思って集まりに行ったのに日常生活と変わらない差別を受けた、なんていう話は例外的なことではない。「私たち」の運動や取り組みの内部にも、差別や抑圧が今もある。また「私たち」の内部のパワーゲームだって、いつものことだ。しかし「暗黙のボス」に仕切って欲しがっているのは、居場所が欲しい私たち1人1人かもしれない。
一体、意見が違う双方にとって対等・公平であるとは、どういう状態なのだろうか。
悩んでトラブって話し合って、それでも敢えて「共にいよう」と意図して努力し続ける人たちこそが、本当に繋がって仲間になれるんだと思う。そして、「私たち」の間の意見の違いやトラブルに対して自分たちで対処できるという経験と自信を得てレベルアップしたあなたは、毎日の暮らしの中の出来事にも、ただ我慢したり諦めたりするのではない、もう一つの選択肢を自ら創る力を既に身につけているかもしれない。
遠く京都の地から、応援と連帯のメッセージをお送りします。共に、頑張ろう♪
ひびの まこと(http://barairo.net/)