ばらいろのウェブログ(その3)

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東京の連続上映会の個人的な雑感

 何より、連日満員大盛況になるとは予想もしておらず、ビックリしました。特に「Cプロ:コミュニティーって誰のもの?」などは、もともとは10人くらいでじっくり語り合えたらいいと思っていたのですが、蓋を開ければ満席で2回上映になるはめに。企画趣旨にはっきりと業界内の主流派への批判的視点が明示されていたのに、それでもたくさんの人が来てくれたので、やっぱりこういう路線の動きはいま東京では求められているのね、と思い直すことにしました。
 東京というのはなんか変です。もちろん褒めているのではなく違和感の表明としての「変」です。何か隠れたヒエラルキー(権力構造)があるみたいで、空気を読んで誰もそれに公然と異を唱えないみたいな雰囲気。でも業界というのは、もめ事やトラブルがあってこそあたりまえなのであって、どうやってそのもめ事やトラブルと付き合っていくか、どうやって解決し合意を創っていくか、そういう経験の積み重ねが全然されていない感じがして、残念です。「東京レズビアンゲイ・パレード」の名称問題にしても、とてもたくさんの人がこの名称に違和感を感じたりしていたのに、公式に批判する人がほとんどいなかったりとか。そういう状況がある(ように思える)から、関西クィア映画祭の上映会には沢山人が来てくれたんだと思うんだけど、だけどそういう状況というのはかなり悲しい状況な訳で、わざわざ関西から企画が来ないと「反主流派」「非主流派」の動きが顕在化しない東京の状況は、やっぱり変です。個人的な利害で言えば、そういう東京の状況を利用すればいろいろなことができそうだし、実際今回もいろんなステキな人と出会えたし、今回の上映会も大赤字にはならないで済んだし…とも言えるは言えるんだけど、でもやっぱりこの東京の状況は、東京の人達で変えていって欲しいなぁ。


 以下、個別の企画の感想。

Bプロ:男子であること、胸があること

 大盛況だということで、まずこういう「典型的GID」とは異なるラインでのFtM/FtX系の集まる場の東京での少なさと必要性を確認。関西では、「典型的GID」のラインとは異なるトランスジェンダーの権利主張の方向の運動の方が歴史的に強く、というか、取りあえず自覚的な人達は確信犯的にトランスジェンダー路線を(少なくとも過去は)とっていたので、そういう歴史の強い関西と、GID路線の強い印象のある東京の差を再確認(そして思い出すのは、特例法制定の時のいずみちゃんの厳しそうな表情)。
 企画終了後に、「映画はフェミニズムの視点が沢山入っていたのに、その後のトークではフェミニズムの観点からの発言がない!」さときんから激しく意見をもらったんだけど、私も事実としてはそうは思います。ただ現実問題として、それが今の若いFtM系の人の現実な訳で、まさにそういう人向けに、フェミニズムの視点が入った映画を見もらって、フェミニズムの運動の考え方はトランスジェンダーにとっても使える道具なんだということを知ってもらったり、もしくは少しでもフェミニズム的な考え方に「肯定的な形で」触れる機会になれば良いのでは、くらいに私は思いました。例えば私や他の人がパネラーで入ってフェミ的な視点で発言したりしても良かったんではあろうけど、でもそれよりも、FtM系の人達自身の発言と共感のために時間が使われること(自助的要素)の方が優先されることに私は同意した、というのが、主催側の人としての私のいい訳。今度はどこかで(あそこで!)、「男子であること」をネタに、フェミニズムの観点から、じっくりトークをしたいですね。
 フェミニズムと企画との関係で言えば、ミヤマアキラさんが書いてくれている感想が少し残念。「映画への集中力を損なう要因が多すぎ」については全くその通りなので、申し訳なかったです。個別にはいろいろ話したいところもあるんだけど(後日、っていつ書けるんだろう…)、何が残念かというと、まさにフェミニストが苦労して創った場であるパフスペースにおいて「男子であること、胸があること」の上映ができ、FtM系の人達の自助と共感の場を創れたこと、つまりフェミニズム運動がFtMたちのために場所を提供できたことを、どうして素直に喜び誇りに思うことができなかったんだろうか、ということ。これはミヤマさんを非難しているのではなく、そういう風に素直に喜ぶだけの余裕がない状況に、ミヤマさんや東京のフェミたちが置かれている(それだけ状況が悪い)のではないか、ということを感じられ、ちょっと悲しく思いました。
 さて上映会に話を戻すと、これも上映後に個人的に、「上映後のトークが今ひとつだった」旨の意見をもらいました。1人くらいオペ済の人に出て話してもらってもよかったのに、と。これも、確かにその通りだったなと思います。
 似たような(と言うと怒られるかな)FtM系が多く集まる場と言うことで思い出すのは、5月末に参加したLIKE誌のオフ会。客層があんまりかぶっていないのが、印象的でした。
 私自身はアマアマで中産階級的な学生運動あがりの活動者なので、実はノリとしてはパフナイトのようなノリには親和性があります。今回のパフナイトも、「まずFtM系の人達が集まって、共感的に話をして盛り上がることができて、良かったじゃん。東京では、まずこれが第一歩!」というポジティブな総括にしてしまいがちなのですが、やっぱり甘いかなぁ。

Cプロ:コミュニティーって誰のもの?

 「今の商業主義化されたパレードは要らない」とか、結構過激な発言がバンバン出てくる映画だったんだけど、でもそれを素直にみんな見てくれて、ちょっとびっくり。当初は確信犯的なお客さん10人くらいで見れればいいなという予測だったんだけど、予想外に大人数の集客で、客層が読めず、二丁目だし映画を見て機嫌を悪くするゲイが続出するんじゃないかと少し危惧していたのですが、全然大丈夫でした。よその国の話だから客観的に安心して見れたのかな?「周りを見て、白人ばっかり!」という白人特権を告発する掲示は、もちろん「周りを見て、男ばっかり/ゲイばっかり」「周りを見て、日本人ばっかり」「周りを見て、健全者ばっかり」という問題意識に繋がるハズなんだけど、みんなどう思ったのかなぁ。
 今回の上映会を通して、いろんな団体の愚痴というか問題点もちらほら耳にしたけど、基本的に組織を作るということは「社会的必要性のために、なにかを犠牲にすること」と同義なんだし、だからこそ必ずどの団体にでも問題とトラブルはあって当たり前で、それに対して内部にいる人達が声を自分で上げていくことの必要性と重要性を訴えていたのがこの日の映画だったと思います。そういう内部での問題提起こそが組織の問題を改善する最大のチャンスであり貢献なんだから、是非皆さま、個々の現場でがんばって下さい。応援してます(笑)
 それから、実は私は「東京のゲイ」にはかなりひどい偏見を持っていたんだけど(例えば永易さんとか伏見さんとか、自分の無知を開き直ってマジョリティー指向の運動をしている)、それはそういうサンプルが悪かったということを実感できたのがうれしかったです。性別違和のないゲイ男性の人でも、自分とは違う状況の人のことや自分の持つ特権をちゃんと考えようとする人はいる(むしろそれは有名活動家よりは普通のゲイに多い)という事実を再確認できたことは、ワタシ的にはうれしいことでした。
 最後に、やっぱりこの上映会も、本当に生活がぎりぎりの人達や今日寝るところに困っているような人達ではなく、一定の生活を送れている人達が中心だったと思います。日本のホームレスの状況への関心や質問とかも、ありませんでした。元々はそういう広報しかできていない私たちのあり方の問題なのですが、こんな「金持ちの道楽」のような映画祭みたいなことをやっていていいのか、という思いも、やはり私の頭をかすめた日でもありました。

  • 以前打ち合わせにお伺いした時には、店の奥にはCNT(スペイン全国労働連合)の旗がかかっていたのに、それが企画当日は「PACE」の旗がかかっていたのが、ちょっと残念(笑)そんなに日和らなくて良いのに(苦笑)
  • 企画直前に二丁目仲通りでこの企画のチラシ配布をしたんだけど、そのチラシを見て企画に来てくれた人がいました。さすが二丁目!チラシ配布して、良かった〜

Dプロ:トランスジェンダーとバイセクシュアル

 映像にトラブルがあったことまずお詫びします<(_ _)>
 この日は、パフナイトに負けず劣らず、参加者同士の話も含めて盛り上がった感じでした。パフナイトに続き聾者の方々の参加も多数あり、その通訳をしてくれていた方の、セクマイ用語を完璧に使いこなすスキルには脱帽でした。ありがとうございました。
 それから、カムアウトして初めてそれと分かる程にパスしているトランスの人が何人も来ていたのも印象的でした。てか、パス度高いよ、皆さん。
 映画はいずれも良い作品なので、是非東京でも上映会をしてください!
 私の印象では、やはりフェミニズムを踏まえた上での発言が少ないということ、が印象に残っています。そうか、今の若い人は、フェミニズムを飛ばして、バイセクシュアルとかトランスジェンダーとかやれてるんですね。私の世代は、まずフェミニズムを学ぶところから言語化が始まったような面もあるので、その辺やっぱり違うんだと世代ギャップも感じたり。
 それから、当日回し読みをした冊子「『バイセクシュアル』である/ない、ということ」ですが、バイネタの基本としてオススメです。私の著作分は私のサイトに載っていますので、ぜひ読んでみて下さい。(これって、増刷した方がいいですか?)
 あと、トランスジェンダーものとしては、以下が私の出発点です。こちらもよろしく。

その他まとめがトランスジェンダーが提起する問題とは何かにあります。

Eプロ:「パレスチナではレズビアンが殺されている」にどう答えるか

 映像にトラブルがあったことまずお詫びします<(_ _)>
 この日の講演の内容ですが、実は直前で変更しています。パレスチナ問題の基礎については、もう以前のパレスチナ報告会でも話したことだし、この日は標題の話をメインにする予定で当初はいました。ただその後、東京の活動家と話していて、「いや、パレスチナ問題の基本を、まず押さえた方がいい」とアドバイスをもらい、先日のような講演になりました。
 結果的にはこれは正解で、上映後の質疑とかすぐに出てこなかったのは、やっぱりパレスチナの置かれている状況をちゃんと踏まえると、この話があまりに重すぎるという事実から来ていたんだろうな、と思います。というか、やっぱり「イスラエルによるパレスチナへの侵略と占領」という事実を踏まえない限り、この問題は分からないです。
 という反面、私個人としてはパレスチナ問題一般ではなくもっと突っ込んだ話がしたいです。こういう企画ではやはり無理なのかなぁ。
 ワタシ的に残念だったのは、直前の講演内容の変更だったので、その準備のために土曜日が取られてしまい、行く予定にしていた日本女性学会の堀江さん他の発表を見に行くことができなかったこと。同性婚を安易に目指す運動に異を唱えるという面白そうな発表だっただけに、ちょっと残念。以前使った「キーノート」のファイルをハードディスクにコピーして持って行けば済んでいたものを、それをしていかなかったために一からデータを作り直すのは大変でした(T_T)

Fプロ:BOTH〜インターセックスとバイセクシュアル

 最終日、満員御礼。ステキな最終日でした。会場も良い感じで、参加者同士での話も弾んだようです。Latitude☆Pのスタッフの皆さん、ハードスケジュールのところをバッチリセッティングもしていただき、ありがとうございました。スナックもおいしかった♪
 BOTHですが、何度見ても新しい発見がある映画です。今回特に思ったことは、次のようなことでした。
 レベッカにとって勝手に手術されたことはもちろんひどい話で、不当な暴力です。加害行為以外の何ものでもありません。まずそのことを大前提として踏まえた上で、その加害行為を行い、今同じ状況になったらまた手術をすると開き直っているレベッカのお母さんの側には、全く悪意がないという事実です。悪意どころか、本当に(主観的には)レベッカのためを思って、レベッカのためにこそペルーでの生活を捨ててまで、手術をした訳です。つまり、加害/被害の関係と、悪意/善意の問題が完全に別のものである例として、レベッカの例があります。
 「悪意があるから、悪い」(その逆として「善意だからいい/やむを得ない」)という風に言えないとしたら、どうなるのだろうか。自分と他者との人間関係のルールは、どういう風に引き直されるのだろうか。つまり、自分が善意で行っていることでも、相手に対する加害行為になり得るという事実を踏まえて、「私たち」はどういう対人関係を持てるのだろうか。「公的な場」が創られる契機がここにあると思いました。
 日本語字幕の監修もお願いしたコヤマエミさんが、自身のことをリベラリストと名乗り、常に自分の位置と論争相手の位置・立場とを入れ替えて、かつそのどちらの側にとっても納得のいく合意を見つけようとする姿勢の理由の一つがここにあるのかも、ということを思いました。(話のテーマとしては、親による障害者殺しというテーマで、特に目新しいテーマではないのですが、今回はそこに私の関心が向いた、ということです。勝手に人のことを決めつけていますが、許してね)
 ちなみに参考までに書くと、私自身の経験からは、自分にとって都合の良い政治的目的のために利用主義的にしか民主主義を使わない左翼への批判(運動内部で、敵だと見なした人への二重規範の適用が正当化されることへの批判)から、似たような趣旨の態度を私も取るようになっています。自分の立場からの正義にしか関心がないご都合主義左翼(正確には左翼に限らずご都合主義的な態度)には、もううんざりです。

山谷の共同炊事

 6/28(日)、BOTHの前には、山谷の共同炊事に行っていました。途中から雨が降ってきて難儀でしたが、そして何より山谷に行く途中で電車に乗り間違えるというトラブルがありましたが、一部分でも参加できて良かったです。
 日本各地でホームレスのための「炊き出し」が行われていますが、ここは一方的なサービスの提供ではなく、山谷の労働者や野宿当事者と共に共同炊事を行うというものでした。現場に少し遅れて着くと、思ったよりも大勢の仲間たちで作業をしています。言葉通り「共同炊事」になっていて、良い雰囲気でした。
 今回の直接のきっかけは、山谷の運動の内部で女性差別が問題化され、女性差別だけではなく「みんな」で一緒にいられるようにするための試みが「セイファースペース」という言葉で取り組まれているらしいということを聞いたからでした。その辺りのことが「’08-’09 山谷 越年・越冬闘争報告集」には書かれていて、また改めてその紹介をしたいと思います。
 私自身にとっては、山谷は、山谷争議団が金町一家と闘っている時に山谷争議団の支援で行った時以来で、今回は落ちついた雰囲気の中で山谷に行くことができて、ちょっとホッとしているところです。寄せ場・日雇い労働・ホームレス・野宿の問題については、先の山谷労働者福祉会館のサイトにも少し載っているので、読んでみて下さい。



 あ〜長い報告!やっと寝れる。