ばらいろのウェブログ(その3)

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「原発も、日の丸も、いりません」



 今日4/16(土)、大阪の御堂筋で反原発デモがあり、参加して来ました。
 せっかくなので、プラカードとチラシを作ったので、掲載します。
 派手な緑のコートで参加したので、チラシの受け取りもよく、よかったです!
 日の丸といえば、レゲエ系の方たちが、ホントに、日の丸をベビーカーにくっつけてデモに参加していたりして、正直ちょっとびっくり&私の看板のタイムリーさにびっくり。在特会が難波で日の丸を掲げてデモに抗議していたのには、びっくりしたけど、これに対しても「日の丸いらない」の看板はタイムリーだったかな、と。


以下は、今日配布したチラシの文面。


原 発 も 日の丸も いりません

原発は、自民党政権や電力会社が流し続けた「安全です」というデマの象徴です。
★日の丸は、もともとアジアを侵略する時の旗でした。今では、意見が違う人を抑圧・排除する象徴であり、日本人優遇への無知、在日外国人への差別に無関心であることの、象徴です。


下請け労働者も 福島県民も 在日朝鮮人も 性別越境者も セクマイも「みんな」の安全を!

★下請け労働者を被曝させ、福島を始めとする「田舎」に原発という危険物を押し付けているのは、都会に住む「私たち」です。
★「頑張ろう日本」という言い方は、現状では、在日朝鮮人や在日中国人など在日外国人の存在と権利を不可視化する効果を持つことが多いです。
★男女別しかないトイレ、性自認を無視した法的性別での取り扱い、パートナーとして扱われない同性カップル…震災や事故などの緊急時でも、性的な面で多様性を持った人たちが消えるわけではありません。
★緊急時だから、新しい社会を作る時だからこそ、多数派だけを優遇するのではなく、「みんなが安全な社会」を作っていこう!


不作為の責任、が気になる。

 別に私が積極的に原発を推進した訳ではない。しかし、日常生活の忙しさの中で本気で反原発運動に取り組んで原発をなくさなかったツケが、事故となって現れ、既に放射能汚染が進んでいる。この感覚は、日中戦争や太平洋戦争について「なぜ戦争に反対しなかったの?」と後から問われたときの感覚に、似ていないか?
 「頑張ろう日本」「日本人ってすごい!」とか言って日の丸アイコンを掲げる人たちの多くは、外国人を敢えて意図して差別しようとしている訳ではないのだろう。しかし文科省は、朝鮮学校への高校無償化手続きを再開しない口実として震災を挙げた。日本国民だけを優遇し外国人を差別してきた日本政府の方針と日本社会のあり方が、震災復興において急に自動的に変わるとは考えられない。
 同じ仕事をしていても時給が違う。いや、そもそも女子は雇用されない。こんな状況を変える取り組みに関心を示さない男性正社員の労働運動の歴史もある。目の前で不正が行われているのに「気が付かなかった」は本当?「無知は罪」という言い方もある。
 「みんなで作る」企画なのに、壇上で話す人は男ばっかり。会議でも発言するのは男ばかり。「みんなのパレード」なのにパンフレットはまるでゲイの広告誌。「クィア」を掲げるのにトランスジェンダーが少ない学会。特に誰かの悪意がなくても、普通に話が盛り上がると、いつもこうなる。
 運動の中のハラスメント。抗議や批判の声を、受け流したりしていないか?外部に悪者を作ることで、仲間内で盛り上がっていないか?誰かを仲間はずれにしてしまった自分の過ちに、ちゃんと責任をとったか?
 不正や抑圧、差別は、一人ひとりの善意な日常生活、つまり「知らないふり」や「見て見ぬふり」によって支えられている。だから、敢えて意図して方向を変えるための作為的な介入をしない限り、不正や抑圧や差別は、いつものように実践されていく。
 自身が受けている(と感じている)被害について声をあげることは、自分自身の人生を引き受けるためにまず大切なこと。そして、他者加害への傍観者にならないためにも不可欠なこと。「知らないふり/見て見ぬふり」によってつらい思いをしている自分が、不作為による加害というその同じ構造に加担するのは、カッコ悪すぎる。
 なにより、自分の場所で、自分のことについて声を上げ、そして自分の周りのこと他者の声に耳を傾けようとすることが大切だ。それぞれがそれぞれの場で、それぞれのやり方で、出来ることをしよう!ともに闘わん♪

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これを転用しています)

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